Web草思
文学的なジャーナル Journal Imagined 岡崎祥久
最終回
2007年10月25日(木)

 思い出が私を訪れるとき、私はとても幸福になるか、とても悲しくなるか──そのどちらかなのだと思っていた。けれども実際には、その両方であるらしい。両方を同時に感じている。

 このところ、早起きの暮らしにもだいぶ慣れてきた。六時に起きて蒲団を上げ、六時半からはラジオ体操をする。体操が済むと風呂に入り、それから朝食を摂る。朝の時間をのんびりとすごし、九時になったら仕事に取りかかる──これが基本的な一日の始まりだ。
 “ラジオ体操第二”というのは、歌謡曲の二番の歌詞のように、知らなくてもかまわないようなものだと思っていたが、体が動きを覚えるにつれ、それなりにおもしろみを感じられるようになってきた(なぜ三回も“跳ぶ”のかは、ちょっとわからないけれども)。第一・第二と終えると、ちょうどいい具合に体がほぐれている。

 この一年間というもの、私は多くの日付入りのメモを繰ってきた。そのメモを元にして、ジャーナルを書き起こしてきた。それは、過去を掘り起こす作業ではなかったし、過去の何かについて書いているのでもなかった。
 とはいえもちろん、メモを繰れば過去が私の眼前に立ち現われるわけだが、すべての過去が私のお気に召すとはかぎらない。つまらない過去には一瞥をくれてやるだけで、段ボール箱の中の混沌へと追い返してしまう。

 あるいはこれは、編年体によらない自分自身へのアプローチの仕方(の一つ)であったのかもしれない。

 過去には“私”がいて、現在にも“私”がいる。おそらく未来にも……。“私”は常にいる──移ろいつつも断絶されている日々の中に。

 私が“私”を繰る。そして私も繰られる。

 いつでもそうだが、書きたいように書くことは、とても難しい──というより、ほとんど不可能に思える。
 さらに難しいのは、たまたま書きえた物を、これこそが書きたかった物だ、と思わずにいることかもしれない。
 しかしながら、満足のゆく物が書けたためしなど、これまで一度としてない──などとのたまう書き手の物は、あまり読み継いでゆきたくはない。
 だから、何も言わずに書いているのが、一番いいのかもしれない。

 ところで昨夜は夢見がひどかった。過去の断片がひょうのように降り掛かってきた。夜中に何度もハッとして目を覚ました。あれはそういうことだったのか──と悟ったり悔しがったり腹を立てたり。どうあれ、ひどく寝にくいことであった。
 なのに今朝は、とてもいい目覚めだった。いつもよりちょっとだけ早起きで、しかも眠気など微塵も残っていなかった。爽快である。ラジオ体操と風呂と食事を済ませ、仕事机に向かってからも、これは持続していた。
 とはいえもちろん、爽快な朝が仕事を捗らせるかというと、必ずしもそうではない。逆に、ウンザリした気持ちで始まった一日の方が、思いがけない成果を手にし、いい日暮れを迎えることもある。
 ……だが、こうしたアイロニカルな記述は、かならずしも賢明ではない。“爽快な朝”を“いい日暮れ”へと導くのを阻害する。ある例外が別の例外を押しのける。奇跡的な例外であったかもしれないのに。

 ちょっと前まで私は、ユートピアを題材にした小説を書こうとしていた。けれども、もうやめてしまった。

 「ユートピア」とは「どこにも無い」という意味のトマス・モアの造語である──と岩波文庫のカバーには刷られている。ユートピアというのはもともと、いわゆる“理想郷”や“空想的な世界”とは異なるものだ、と言っているのだ。

 しかし私はモアのことは詳しく知らないし、彼の描いた理想の国家についても、あまり興味がない。ただ“ユートピア”という概念それ自体に魅惑をおぼえたということである。

 ユートピアを描くには、建設を進めるのと同時に打撃を加えてゆかねばならない。打撃が強すぎれば世界は打ち砕かれてしまうし、建設ばかりでは、退屈である。

 やめてしまったことを、私は惜しいとは思わない。本当に、やめてしまってよかったと思っている。

 どこで読んだのか忘れたが、不味いゆで玉子のことを私は思い出す──ある人が文芸誌宛てに自分の作品を送った。作品がきちんと最後まで読まれたかどうかわかるように、その人は、原稿の最後の方を軽く糊付けしておいた。ボツになって送り返されてきた原稿を確かめると、糊は剥がされていない。その人は編集部に電話を入れ、最後まで読みもしないでボツにしたのはなぜかと問い質した。すると編集者はこう答えた──不味いゆで玉子は一口食べればわかる、と。

 さっきのユートピア小説の中には、人々が手に手に石を取って投げつけ合う場面があった。これを、不味いゆで卵を投げつけ合うように変更してもいい。時たまおいしいゆで玉子も混ざっているが、誰もそんなことは気にしていない。

 あるいはまた、その小説には、木工用ボンドのような体臭の少女も出てくるのだが、彼女の体臭を、不味いゆで玉子のような臭いにしてもいい。

 さらに、その小説では、ユートピアに派遣された〈訪問者〉が見聞を報告する形式を取っているが、〈訪問者〉は生首の姿で語るので、不味いゆで玉子が語ることにしてもいい。

 そして、不味いゆで玉子は最後にこう言うのだ──わたしのことはもう放っておいてください、と。
 さて、そろそろ時間切れだ。今日の更新に間に合うように、この原稿を送信してしまわねば。
 午後は私は、何か別のことをするとしよう。
(了)
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