Web草思
文学的なジャーナル Journal Imagined 岡崎祥久
第20回
2001年6月20日(水)

 午後になって目を覚ました。ようやく凝りがほぐれてきた感じだ。空は、よく晴れていたがしだいに曇っていった。
 今、段ボール箱を開いて、十年ほど前のメモを読み返している。
 段ボール箱の中のメモ紙は、おおむね時間の進みゆきに沿って堆積しているが、こうして読み返すことがあると、すこしずつ混ざり合ってゆく。あるいは、あのことはいつのメモに書いてあったっけ、などとひっかき回したりすれば、なおのこと混淆してゆく。
 それはまあいいとしても、昔のメモを読み返しながら私は、いったい何をしているのだろうか──ただの箇条書きでしかないようなメモを元にして、過去を思い起こそうとしているかのようでもあれば、こうしてメモを読み返すことそれ自体が、この場かぎりの過去を作り出しているかのようでもある。
 今よりさらに十年後、とまでは言わずとも、五年後か六年後に、この同じメモを私が読み返せば、いくらか異なる過去が作り出されるであろう。読み返すたびごとに、過去は生成されるのだ。
 過去や事実というのは、さまよえる骸骨のようなもので、うつろな骨格に血肉を盛ってくれと懇願しているのだ──というようなことを誰かが言った。たしか外国の小説家だったと思うが、なかなかいいことを言う。さすが小説家だ。
 さて、今私が手にしている十年前のメモの中で私は──精確に言うと1991年5月10日(金曜日)の私は、ある日記を読み返している。恋の日記である。
 私は、女の人のことを好きになると日記を付け始める。そして、恋に破れると、燃やす。もしも恋が成就した場合には、恋が終わってから、燃やす。いつの間にか、こんなことが習い性になっている。ノートブックをまるまる燃やすと、黒いキャベツのようになる。
 恋の日記は、日常のメモとは別の物である。日記には、あることないことが、のたうつようにして書き付けられている。あることないことの“ないこと”の部分は、へたに読み返したりすると、すこぶる恥ずかしい目に遭わされる種類のものだが、“あること”の部分については、当該異性に関して知り得た事柄の備忘録にもなっているので、恋をしている間に、よく読み返したりする。
 1991年5月10日の私はちょうど、ある女性に思いを寄せ始めた頃のページを読み返している。そして、誰かのことを好きになり始めるというのは、すごくいいものだな、などと思っている。うん、私もそう思う──誰かのことを好きになり始めるというのは、すごくいいものだ。あんたはどう思う?
 しかしなぜ“私”が日記を読み返しているかというと、私はこの日、数日ぶりで西瓜子に会うことになったからである。数日前にひどい別れ方をしたきり、西瓜子から音沙汰はなく、私の方からも何も言わなかった。それがついさっき、電話があった。西瓜子の声はとても静かで、用件だけを伝える事務的な口調であった。
 ──午後3時に竹橋で。いい?
 「わかった。午後3時に竹橋で」
 ──…………。
 竹橋で落ち合うときの場所は、言わないでも決まっている。われわれにとってのそういう場所は、他にもいくつかある。
 受話器を置いて電話を切ってしまうと、きっとこれでもう終わりなんだろうな──と思えたので私は、なつかしい日記を読み返し始めたのだった。
 ひとしきり読んでしまうと私は、台所の流しに立ち、日記のノートの隅にライターで火を点けた。外国の映画でたまに、台所で書類を燃やすシーンがある。それを見て私も真似をするようになったのである。すぐにノートから火が生えてきた。
 ……が、よくよく考えてみると、まだ恋が終わったとは言い切れないので、私は思いとどまって火を消した。ノートの一角に黒い焼け焦げが残った。この焼け焦げは、恋が終わるまで残る。そして私は、この日でこの恋が終わらないことを知っている。
 この日、待ち合わせ場所へ行くと、泣き腫らした目でベンチに腰掛けていた西瓜子が言うのだ、「来ないかと思った」と。腕時計を見るとちょうど待ち合わせの時刻である。西瓜子はやつれている。
 西瓜子は、私が彼女のことをもう好きではなくなったのだと思っていた。そのせいで三晩眠らずに過ごした。私もまた、彼女が私のことを好きではなくなったのだと思っていた。が、眠らずに過ごした晩はなかった。ベンチに並んで腰掛け、話を重ねてゆくうちに、私たちは仲直りをする。立ち上がるときには、若い手と手をつないでいる。
 私には、十年前の恋の日記帳を焼いてしまうことはできない。また、焼かせないようにすることもできない。過去が厳然たる事実だからではなく、止まった時間の中にいる“私”が自由に動けないからである。
 恋の日記を読み返している1991年の私のことを、十年後から覗き込んでいる私の目線は、私の前よりは後ろ、下よりは上、そして右方よりは左方から放射されている──ということは、この私が今、急に左肩越しに斜め上方をキッと振り返れば!
 ……あ。
 私ならぬ私と目が合った──ような気がする。
 ……いやいや、ダメだな。自分のことが見えるフリをしているだけだ。きっと私の目線は間が抜けていて、見当違いのところを凝視しているにすぎないはずだ。そうなんだろ? でもちょっとはギョッとしなかったか?
 今の私がいる“ここ”もまた、止まった時間の中である──未来から見れば、おそらくそんなふうに見える。私は無分別で歯がゆい男にちがいない。止まった時間の中で、どうにか動こうとしても、どうすれば動けるのかわからない。私は生きて動いているが、それと同時に、生きたまま止まっている。

 15時になって簡単に食事をした。コーヒー、トースト、ラタトゥイユを添えたオムレツ。
 17時になる前に、西瓜子を残して部屋を出た。銀行で記帳したが、原稿料はまだ振り込まれていない。ガス器具店に立ち寄り、取り寄せてもらった乾燥機用の不織布フィルターを引き取った。
 街を歩きながら私は、私のこの日を読み返しているかもしれない私のことを考えて、いくぶん鬱陶しいように感じていたが、やがてそれも気にならなくなった。どうせ私は、時間の中ですこしも自由ではない。あんたはどうだ? ついでにおれのこともどうにかしてもらえるか?
 ちなみに私は、あの一角の焦げた日記帳を、今はもう持っていない。燃やしてキャベツにしてしまった。

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