2001年9月7日(金)
朝の4時に目を覚ますと、それきり眠れなくなりました。このところ不規則な生活のリズムに陥っており、一昨日はちょうど今ぐらいに寝入ったようだったのですが、それが本当に一昨日のことだったのかどうかは、じつは定かではありません。こうした時の常として、ふと“規則正しい生活”を羨みかけましたが、ため息をひとつ吐いただけでよしておきました。
コンピュータを起こしてインターネットに接続すると、旅行の下調べをしました。今年の初めに七年ぶりで買い替えたコンピュータは、ノート型ですが、上蓋を開いて数秒のうちに使い始められるので重宝しています。しかしこの新しい機械であってもまだ、夜明けの静寂の中では騒々しい異物です。
7時半になると近所のファミレスへ行き、朝食を済ませて戻ってきました。聞くところによると、ファミレスの広いテーブルで仕事をするのが好きな人もあるようですが、おそらく私は、コンピュータを置いたままトイレに行くことができません。いえ、それ以前に、気恥ずかしくて機械を取り出すことができそうにありません。
そういえば私は、電車の中で思い付いたことをメモに取っておくのさえ、恥ずかしくてうまくできないことがあり、電車を降りるまで覚えつづけていようとすると、そのことだけで頭がいっぱいになってしまいます。手指も声音も使わず、表立って装置を使うこともなく、自分宛てにメモを送れる仕組みがあるといいのですが……。
さて、11時近くになると、身じたくを調えて部屋を出ました。京王線に乗って新宿に出ると、JR新宿駅の〈みどりの窓口〉で新幹線の切符を買いました。東京駅でいったん外へ出るつもりでしたから、新幹線用の乗車券は使わずにしまっておき、券売機で普通の切符を買って改札を通りました。
東京駅のステーションホテルに隣接する喫茶店で講談社のMさんと落ち合い、「首鳴り姫」の原稿を渡しました。この夏は、暑さと孤独とに耐えつつ、われながらよく働きました。後々自分の中で伝説になりそうなほどの働きぶりであったと言えます。聞くところによると、偉い作家は夏は仕事をしないのだそうです。私はこれまでもずっと、夏ばかり仕事をしていたような気がします。戻ってきたら、もうひとつ、文芸誌のための作品を書くつもりでいます。
新幹線の座席は通路側でした。一人旅でヘタに窓側の席を取ると、トイレひとつが大儀なことになりかねないので、あえて通路側にしておいたのです。しかし車内はそれほど混雑していませんでした。空席も多いようです。私の隣りの窓側の席も空いていましたが、途中で若い女性が乗ってきました。彼女は特急券と座席プレートを何度も見くらべてから、きわめて訝しげな顔で着席しました。車内には一人客も少なからずいますが、みんな縦一列に窓側の座席です。二人で並んでいるのは二人連れの客です。私もわざわざ通路側の席など指定しない方がよかったのかもしれません。
私の隣りの若い女性はいつの間にか眠り込んでいました。スカートの脚を開いたまま寝ているので、窓の方を眺めるのはよして、ずっと、しがみつくようにして本を読んでいました。
数時間後、ようやく新幹線を降りると在来線に乗り換えました。最後に列車を降りる頃には、もうすっかり夜になっていました。駅には西瓜子が迎えに来ていました。私はフッと抱き寄せて口づけをしました。そうしてから、西瓜子がこの夏を過ごした家へと向かいました。
1991年3月21日(木)
私は22歳だ。もう、働きたくない。
べつに欲しい物があるわけでもないのに、どうすればカネを手に入れられるのか、ということについて考えている。その一方で、どうすればわずかなカネで暮らしてゆけるのか、ということについても考えている。つまりカネのことばかり考えている。子どものころ、そろばんを習いに行っていた時分には、一円ナリ二円ナリと珠をはじいて計算をすること自体が楽しかったけれども。
今日は朝の7時に起きました。どうやら早起きしすぎたようです。27〜28時間ほど起きつづけていなければならないことになるでしょう。働く時間帯を西瓜子に合わせた方がいいのかもしれません。でも今はまだそうできないのです。
私は今、週に3日──33時間働いています。それだけでもう苦しい。
私は働くのがあまり好きじゃない。働くのが好きじゃない若造が働くのは、人迷惑なことかもしれない。だったら、人様に迷惑をかけながら働いているのだ、と思ってみるのもいいかもしれない。
1998年3月31日(火)
9時半ごろ目を覚ました。が、何もすることがなさそうな気がして、13時ごろまでベッドの中にいた。今月は似たようなことが何度かあった。うすら寒いので首を伸ばして窓の外を見たら、うっすらと積もった雪に冷たい雨が降り落ちていた日もあった。
今日は天気が悪くなると踏んでいたのだが、薄曇りとはいえ暖かい日であった。自分の推測が良い方に外れるのであれば、天気予報は知らなくてもいい。
16時半ごろになってから、ぶらぶらと部屋を出た。春である。“新生活”を始めた連中が、そこここにいる。真新しい自転車をこいで、何とかラックとか何とかボックスと書かれた平たい段ボール箱をせっせと運んでいる。
駅前に近い歩道を歩いていると、背後から長い悲鳴が聞こえた(ような気がした)。振り返ると、自転車が(ゆっくりと)倒れつつあった。悲鳴を上げていたのは、幼い娘を前に乗せた若い母親であった(それともブレーキの音だったのか?)。距離は電柱3本。世界一の俊足でも倒れるのを防ぐことはできなかっただろうが、助け起こしに行くのは誰にでもできることであった。私は母娘に背を向けるとまた歩き始めた。何日か前にも私は、歩道に倒れていた男のそばを通り過ぎた。とても汚い恰好をした男であった。
〈住友銀行〉で記帳した──残高ゼロのはずが、なぜか二千円あった。儲け物というよりは、出土品のような金なのだろう。引き出して財布にしまった。これで本当に残高がゼロになった。銀行を出ると、先ほどの母娘の自転車が私の眼前をかすめて走り去った。汚い恰好の男が倒れていた場所には、今はもう誰もいない。
歩いて多摩川に出ると私は、川沿いの舗装路を上流に向かって歩いた。可能なかぎり遠くまで歩くつもりであった。人は若くなくなるにつれて歩かなくなり、歩かなくなるにつれて若くなくなる。が、むやみに歩いてみたところで、若く柔軟な心を取り戻すことにはならない。
私が歩きおおせたのは、私鉄の駅四つ分であった。くたびれたので帰りは電車に乗ることにした。
それにしても、なんだか見覚えのあるところだと思ったら、数年前に来たことがあった。駅前のビルに警備会社が入っている。あの会社から給料を受け取るために開いたのが、ついさっきゼロにした口座だった。
電車を降りて〈西友〉で買い物を済ませると部屋に戻った。20時前であった。道端の電柱の根元にコンピュータ・プログラミングの本が束で捨てられている。明日は水曜なので古紙の回収があるのだ。こっそり持ち帰ってみたが、古くて使い物にならなかった。ふたたび束にして捨て戻した。
次回更新予定日 7月26日
