94年10月11日(火)〜12日(水)
泊まり込みで20日間ほど働くことにした。高速道路の仕事だが、ある程度まとまった金がもらえる。金をもらったら、オートバイに乗って旅に出るつもりだった。
面談を受けて採用が決まったときには昼間の仕事だったが、“人員配置の関係”とやらで夜働くことになった──昨日になって急に電話でそうするように言われたのだ。働き始めるのも本当は昨日からのはずだったが、一昨日の電話で急に日延べされた。
20日分の着替えと暇つぶしの文庫本と手回り品と、事前に支給された警備員の制服一式(安全帽・安全靴含む)を詰め込んだ黒いナイロンのバッグはかなり巨大で重かった。それを担いでバスと電車を乗り継いでゆき、夕方の6時に警備会社に着いた。
「オカザキヨシヒサ警士、入ります!」
戸口で真っ直ぐに立ち、大声で名乗りを上げてから私は入室した。室内にいた連中がいっせいに振り向いた。ものすごく異様な目で私のことを見ている。私も負けずに睨み返した。
なんせ先週の研修でみっちり仕込まれたのだ──入室は必ず名乗ってからだ、と。要するに職員室に入る生徒が、失礼します、と言わされていたのと同じだが、研修では30分以上も名乗りの練習だけをさせられた。つまりそれだけマジということだ。だから私も、バカみたいに大声を張り上げたのだ。
そのとき背後でカチャリとドアが開き、どうもぉ、おばんでぇす、と言いながら、慣れた感じの若い男が入ってきた。おう、ご苦労さん、と室内の誰かが言った。……私はもう二度と名乗りを上げないことにした。
「じゃあ、とりあえず着替えておいて」
苦笑気味の小太りな男に案内され、パーティションで仕切っただけの更衣室へ行くと、先ほどの若い男がちょうど出てきた。どうやら学生のアルバイトらしい。濃紺色の警備員の制服を着ると、むしろ若く見える。お先に、と言って男は出かけていった。私も手早く着替えを済ませたが、それ以降の指示がない。どこへ行けばいいんですかね、と尋ねても、ちょっと待ってて、と言われただけであった。私は1時間ほど何もせずに座っていた。
やがてロクタローという名の男がやってきて、じゃあ現場に行くから、と言うので私は立ち上がった。
私たちは地下駐車場へ行き、警備会社のロゴが入った軽自動車に乗り込んだ。私が巨大なバッグを後部座席に押し込むと、ロクタローはちらりと一瞥したが、べつに何も言わずに車を出した。
どうでもいい(わけではない)が、ロクタローは乱暴な運転をする男だった。どけババァ! 轢き殺されたいか! などと口走るのを聞くたびに、私がこの男を轢き殺してやりたくなった。こんな野郎が相棒なのかと思うとウンザリだった。履き慣れない安全靴のせいで、足の甲がもう痛くなりかけていた。
「あんた学生?」
しばらくしてロクタローが尋ねた。
「いや、違いますけど」私は言った。「学生の方がよかったですかね」
「べつに。じゃあさ、歳いくつ?」
「ああ、えっと26です」
「ウソォ、マジで?」ご丁寧に二度も語尾をつり上げてロクタローは言った。「21か22ぐらいだと思ってた。だってオレ27だしさ」
「…………」
「ま、べつに何歳でもいいけど」
やがて私たちは中央高速道路の府中バス停付近までやってきた。あれ? 東名じゃないんですか、と私が尋ねると、なんで? 中央でいいんじゃん、とロクタローは言った。
高速に乗ってちょっと走ると、黄色と黒の縞模様のラバーコーンで1車線を封鎖した規制区間があり、特殊な形をした黄色い工事車輌が幾台か停まっていた。ロクタローは器用にラバーコーンを弾き飛ばして規制区間内に入ると自動車を止めた。自動車を降りると私はバッグを引きずり出した。
「ほら、あそこにいるドブネズミみたいなヤツ、スギオっていうんだけど、あれがあんたの相棒だからさ、何すればいいか訊いてよ」
そう言い残すとロクタローは走り去っていった。やたらと大きなバッグを抱えてポツンと立っている私のことを、現場の連中は冷淡に見ていた。
「じゃ、行きましょうか」
そう言うとドブネズミみたいなヤツ──スギオは歩きだした。スギオは小柄で痩せており、独り言が多いせいでしょっちゅう口を動かしている。私は大きなバッグを抱えたまま、スギオといっしょに歩き始めた。きっと荷物置場に案内してくれるにちがいない。歩きながらスギオは、倒れているラバーコーンがあると舌打ちして立て直した。
何キロほど歩いたのかわからないが、とうとう私たちは規制区間の先頭までやってきた。車線規制を知らせる標識車と機材運搬用のディーゼルトラックが路肩に停まっている。エンジンをかけっぱなしにしたままのトラックはイヤな臭いを放っていた。
「休むときはこのトラックの中で。1時間か1時間半ごとに見回りに行ってください」
そう言い残すとスギオは、左右をよく見て道路を渡っていった。私は一人きりで高速道路上に残された。……相棒じゃなかったのかよ、と思ったが、高速道路を横断してまで追いかけてゆく気にはなれなかった。
ディーゼル車の座席にバッグを押し込むと私は一休みした。そしてもちろん、たっぷり1時間半が過ぎてから見回りを始めた。
私の仕事というのは要するに、規制区間内を歩いて往復し、異状がないか点検し、倒れているラバーコーンを見つけて立て直すことだった。ちょろいもんだ……と言いたいところだが、これはものすごく不毛な仕事だった。
ラバーコーンが一列に並んでいるすぐ隣りの車線を、大型トラックが通り過ぎようものなら、風圧でコーンはバタバタ倒れてゆく。往きに立て直したコーンが、戻ってくるときにはまた倒れている。次の見回りのときにも倒れている。これじゃキリがない。
キロポストで確かめてみると、往復でほぼ5キロの道のりを私は歩いていた──1時間半ごとに、硬い安全靴を履いて、である。
面談のときの話ではたしか、10月10日から30日まで、東名高速道路の横浜インターチェンジで、車輌誘導およびパトロールをするのが仕事の内容だった。しかも歩いてじゃなくて原チャリに乗ってだ。今じゃそれを誰に訴えればいいのかすらわからない。
4度目の見回りに出る頃にはもう、膝がガクガクし、足の甲は赤く腫れて痛み、足裏には
ほんの1メートル横を大型トラックが──というよりは大きなタイヤそのものが轟音とともに走り抜けてゆく。真っ暗な風圧は私を、跳ね飛ばす方向にではなく、引き込むように揺すぶった。ちょっと倒れ込めば、それで終わりだ。何も不思議なことなどない。
夜明けが近づいてきた。
もう歩きたくなくなったので、重たいラバーコーンを抱いたまま立ち尽くしていると、思いがけず前方から近づいてくる二人組があった。同じ警備員の制服を着て自転車に乗っている。一人はずいぶん若くてまだ少年みたいな男で、もう一人は透明なプラスチック・フレームの眼鏡をかけてチョビ髭を生やした中年の男だった。
「あんた何してるんだ?」
私はラバーコーンを下に置くと、スミマセン、と言って見回りをつづけようとした。
「なんで一人でこんなとこフラフラ歩いてんの? 危ないじゃん」
「…………」
どうやら私は、べつにしなくてもいいことをしていたらしい。スギオの指示だったのだとわかると少年のような男は、あの野郎、ぶっ飛ばしてやる、と憤慨して自転車を投げ倒すと道路を渡っていった。そして反対車線の路肩に停めた機材運搬車の中からスギオを引きずり出し、本当に殴っているのが小さく見えた。スギオはどうやら一晩中あそこで寝ていたらしい。ここは高速道路なのに、なんでこいつらは平気で行ったり来たりしてるんだ? と、私はひどく不思議な気持ちであった。
「あんたはもう十分働いたから、後は休んでな」透明フレームの中年男が言った。
私は痛む足を引きずって規制区間の先頭まで、またしても歩いて戻った。ぼんやりとした夜明けの光の中をうつむいて歩いていると、雨と泥で路面に貼り付いた千円札を拾った。海苔に似ていた。
8時半になると警備会社のワンボックスカーがやってきた。先ほどの二人組やスギオもいっしょに乗り込み警備会社に戻った。どうせここに戻ってくるなら、バッグはここに置いていけばよかったのかもしれない──朦朧とした頭で私はそのことばかり考えていた。
「じゃあ、今日はこれで帰っていいですよ。また明日お願いします」
「……じゃ、帰ります」
宿泊場所はないんですか? などと尋ねる気は起こらなかった。20日分の着替えと警備員の制服(安全帽・安全靴含む)が入ったバッグを抱え直すと私は警備会社を出た。
歩いて駅まで行くと警備会社に電話を入れ、明日からはもう働けない、と告げた。給料をもらうときに制服も返します──そう言って私は電話を切った。
ファミレスを見つけ、薄汚れた千円札でモーニングを食べると私は、電車とバスを乗り継いで部屋に戻った。そして、オートバイを売り払ってしまえば旅に出られるかもな、と考えながら眠った。
次回更新予定日 12月28日
