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家族というもの──昔の家族、今の家族 岡野薫子
第2回 家族の幸せ
 「家族」とひと口にいうけれど、同じ親から生まれたきょうだいでも、一人一人の性格やものの考え方は驚くほどまちまちである。顔つきにしても互いに似かよっていながら微妙に異なる。一人っ子の私にはきょうだいの存在そのものが、昔から不思議でならなかった。
 “きょうだいは他人の始まり”などというけれど、そのきっかけとなり目に見えてくるのは、何といっても親の死後の財産相続の時である。これまで仲のよかったきょうだいが、財産をめぐって争う姿は見苦しい。まるで山賊共が山分けでもするようである。こうなっては、親は子どもたちに、争いのタネをのこしていったとしか思えない。“子孫に美田をのこさず”の諺も、拡大解釈すれば、こうしたきょうだいの仲違いの発端まで含まれることになりそうだ。
 私の場合はきょうだいもいないし、家督の単独相続制によって、8歳の時既に相続は完了していたから、そうした争いとは縁がなかった。23歳になった時、後見人の叔父から、家作を売ることにしたので、その金で東京に家を買い、婿養子をとって暮らすように??という手紙がきた。「数子(私の母)も今まで苦労したから、これからはのんびり孫の相手でもしながら……」というようなことも書かれてあった。叔父としては「家」の存続のために後見の役を果してきたわけで、こうすることが自分の最後のつとめだと考えたに違いない。
 しかし、叔父は、家作を売却した多額の金を直接私たち母娘に渡すのをためらった。どんな悪者がこれを聞きつけて、世間知らずの母娘から騙しとるかもしれないと危ぶんだのである。叔父は、自分一人での責任を負いかねてか、家作を売却した際の金銭の受けわたしに、母の弟を間に入れた。
 当時、私たち母娘は、都内の個人宅の賄い兼住みこみで、三畳ひと間で暮らしていた。私が勤めていた会社は倒産し、失業保険で生活をやりくりし、しかも住みこみの家からは立ち退きを迫られていた。そんな状況下に入ってきた遺産の大金だった。母が不用意に洩らしたひと言から、様々な人たちが、私たち母娘に近づいてきた。事業の一時金として貸してくれれば、何倍にもふやして返すといってくる者もいた。断わると、相手は、「今に血で血を洗うようなことになる」といった。
 当の私は、自分が苦労して稼いだわけでもない大金が安易に手に入ったことに反発を覚えた。自分の生き方を否定されたような気さえした。結果は事実上の財産放棄で、遺産の権利は母のものになった。母は大喜びで家を買い、学生相手の素人下宿を始めた。あれほど嬉しそうな母を見たのは、父の死後初めてだった。あれほど積極的な母を見たのも初めてだった。わが家の場合、“巣立ち”は母親から始まったというのが本当のところだろう。俗にいう“子離れ”ともちょっと違う。
 遺産は不当に扱われたかのように見えながら、実は自ずと道理に叶っていたのである。苦労や悲しみの多かった母にはようやく喜びの刻が訪れ、娘の私にはなお一層の試練が課せられることになった。しかし、私が遺産の大金に反発心を覚えたのは、格別とりたてていうほどのことでもなかったのだ。
 アランの『幸福論』の42「行動すること」のなかに、次のような文章がでてくる。

 ……遺産のおかげで金持ちになった人間が、もし守銭奴であれば、これはあわれな守銭奴だ。なぜなら、幸福とはすべて、本質的な意味において詩なのだから。そして詩とは行動を意味するのだから。人は、棚からぼた餅のように落ちてきた幸福はあまり好まない。自分でつくった幸福が欲しいのだ。
(神谷幹夫訳・岩波文庫)

 20代から30代にかけて、私は相変わらず住所不定のまま、知人の家に、仮りの家族として厄介になっていた。俗にいう居候とも違った。性格的に、私には、他人の家族にすぐとけこめるようなところがあるらしかった。おかげで、遠慮や気兼ねもなしに同居を続けられた。
 或る家では、子守りが私の役目になった。子のない夫婦の家に住みこんでいた時期もあった。その家の犬は主人以上に私になつき、犬の散歩や世話が役目になった。しかし、私になつきすぎた犬は主人に反抗的になり、その家を私が出てからは鎖をきって放浪するようになった。久々に訪ねていけば、どこからか、風のように姿を現わした。
 しかし、そうした環境のなかで、自ずと、他人ひととの関係に距離をおくことの重要さを学んだ。ひと言でいえば“遠慮”である。一つでも何か気まずいことがおこると、異分子は忽ちはじきだされてしまう。親戚では、そんな面倒がおこるのを察してか、一泊二泊で訪ねるぶんには歓待もしたが、自宅の空き部屋を貸すまでの話にはならなかった。
 「家」に困りつづけていたせいで、私の関心は必然的に、「家族」よりも「家」に向けられたようなところがある。
 ようやくにして一軒の古い借家での独り暮らしが実現した時、「家」は私にとって、単に住むための入れものというよりも、「家族」そのものだった。そこに収められた様々なモノたちも、共に暮らす家族であった。間もなく近所の猫たちが、わが家を訪ねてくるようになった。私の場合、家は創作の仕事場でもあったから、作品はそこから次々生みだされていった。

 何十年かが経過して、最早、何故結婚をしなかったのか??などと尋ねる者はいなくなり、仕事と結婚したなどと、冗談まじりに答えることもなくなった。何よりも世の中の風潮が、私の若かった時代とは一変してしまったのである。
 家庭の外で働く女性は今や当り前だし、活動的なズボン姿を奇異の目で見られることもない。まるで私自身、時代に先駆けていたともいえそうなくらいだ。しかし、現代の女性が外で働く動機や理由は、私の時代のそれとは本質的に異なる。男女同権が意識の底に定着し、女性の社会進出もめざましい??と考える段階も、とっくに通りこしてしまっている。
 仕事か家庭か。そのどちらをとるか。そういったことで悩む女性は、今では皆無に等しい。保育園や託児所は、もともと共稼ぎの夫婦を支援するためのものだったが、現在は、生活のためというよりは、生活レベルをあげたい、仕事が好きで外に出て働きたい??という女性たちに必要不可欠のものとなった。あれもこれもと、欲しいモノを買うためのお金が欲しいというのが、一般的な働く女性の本音だろう。都会では核家族化が進み、祖父母の協力も得られにくいから、子どもを保育所に預けるのは当然だと、働く女性はワリキッテいる。しかも、世の中全体は、まるで、仕事と家庭の両立を応援、支持するかのようである。
 ただ、現在、こうした状況への批判がでてきはじめたことも確かで、例えば英国在住の評論家マークス寿子氏は、その著書『日本はなぜここまで壊れたのか』(草思社)の第5章「増えつづける、男のように生きたい女」のなかで、「育児と仕事の両立を成功させたと世にいわれるお母さんの心の中の大きい秘密は、罪の意識や自分の後悔を外に捨てて、心の痛みに目を向けないでいることである」と記している。
 かつての、子育ての手がはなれてから女性は第二の人生の出発をするといっていたころのほうが、よほど自然の理に適っていた。
 最近になって、35歳を過ぎようとしている女性たちが、出産願望をもちはじめたことを、テレビのニュースで報じていた。これなども、俄かに母性本能に目覚めたというよりは、もっと利己的な考えから出発しているように思えてならない。
 幼いわが子が邪魔で厭わしくて仕方がないと相談にくる母親がいる??と、知人のカウンセラーが話していた。そういえば私も、昔、母から「あなたさえいなかったら」という言葉を度々きかされたものだった。その度に、「好きで生まれてきたんじゃない」と、子どもの私は反撥した。そんなふうにいい返せるだけ育っていたのは幸いだった。現実に相談にきているのは、まだ二歳になるかならないかの女の子の母親なのである。
 母親から嫌われまいとして、子どもはますますしつっこく、まとわりつくだろう。そこから一方的な虐待に移る可能性もでてくる。
 これに反し、“子育ては自分の生きる原動力だ”という健全な母親たちもいて、彼女らの表情は一様に明るい。
 日ごとにめざましい成長ぶりを見せる子どもからは、目をみはるような様々な発見がある。育てる喜びのなかでそれを享受できる幸せは、私たちの一生のなかに二度と訪れてはこない。お金には替えられない、この大事なものを、親子共々失うことを考えたら、そう易々と、母親は外の仕事に出てはいけない筈である。
 最近、保育所のついた高層マンションが売りだされたからと、わざわざそっちへ引越していった知人がいる。
 「エレベーターで、預けるにも楽なものですから」
 緑の多い環境のよさを捨ててまで引越すのは親の都合である。保育所つきということから、入居にも大変な競争率だったそうだ。やっと一歳になったばかりの女の子が、私には可哀想に思えてならなかった。

 子育て中の動物たちを見ていると、その幸せ感はそのまま私たちに伝わってくる。家族運に恵まれなかった私に、家族の情愛を目の辺りに見せてくれたのは、わが家で共に暮らした猫たちだった。母猫がどんなに仔猫をかわいがり、生きていく上の大事なことを教えていくか。また、先に生まれたきょうだい猫が、妹や弟たちをどんなにかわいがり、面倒をみてやるか。只々感心するほかはない。
 私の晩年、わが家に居ついた猫は、近所で引越しのため置き去りにされた尾の長い大きな牡猫だった。それまで大切に飼われていたらしい、おっとりした気立てと、堂々たる風格を備えた雉猫で、この界隈の猫たちのボス的存在だった。私は彼を“クリ”と名づけた。クリは、私の家族??という以上に良き伴侶となった。控えめなやさしい心づかいを示す猫だった。こちらもそれに応えてやりながら、幸福感に溜め息がでた。クリのような男性がいたら、間違いなく結婚していただろう。本気でそう思ったりした。
 クリは留守番の役もするし、私の帰りがおそければ途中まで迎えにでていたり、マンションの別の部屋に私を探しにいったりした。排水管の清掃員が室内に入ってきた時は、目を爛々と輝かせ、背後からとびかかる気配を見せた。
 現在、私がつきあっている街猫の一家族は、家をもたない猫たちだけに、環境の厳しさから身を守る術を教える母猫の心労は並大抵ではなかった。仔猫が成長した今も、母猫は依然としてその権威の座を失わず、仔猫たちは母猫には絶対服従である。単に母猫の機嫌がわるいだけの時も、決してさからわずおとなしくしている。文明に毒されたこの世の中で、自然でまともな生き方をしている彼らとつきあうのは、私にとっての喜びであり、教えられるところが大きい。人間世界のなかでおこっている「家族革命」なるものは、動物の世界では未来永劫おこる心配はない。そのことを思って、同じ生命体としての私は、ほっとさせられるのである。
 都会では現在、結婚しない若い男女がたくさんいて、皆各々に思い思いの生活を営んでいる。なぜ結婚しないのか。結婚事情相談所の調査結果によると、好きな相手にめぐり会えないという理由が第一で、次は経済的理由をあげている。しかし、本当のところは、一人暮らしの自由さに慣れてしまったからだろう。24時間営業のコンビニエンス・ストアには、様々な弁当やサンドイッチが揃い、冷たい食品をあたためるサービスもつく。
 不動産屋の賃貸物件にも、一人暮らしの彼らをターゲットにした、20平方米台の、まるでミニチュアのようなワンルーム・マンションが目立つようになった。“ペット可”とか“ペット相談”といった表示までしてあって、独り者が家族代りの犬や猫を飼いたがる心理を、不動産屋はちゃんと心得ている。なかには“猫一匹”と限定しているものもある。家主は以前、部屋に猫がふえすぎて困った経験をもっているのだろう。
 動物はつきあっていて嘘がない。人間のような心変わりもない。一旦こちらを信頼すれば、驚くほどの誠実さでこれに応えてくれる。そんな彼らは文明に疲れた人々の心を癒し、単にペットと呼ばれるような一方的な関係をとりはらってしまう。今や、家族としての重要な役割を、彼らは担っているといってもいい。結婚したがらない若い人たちは、ある意味では人間不信におちいっている人たちなのかもしれない。動物の誠実さに較べたら、人間のそれに勝ちめのないことは確かだからである。

 つい先頃、親戚の法事で身内の者たちが集まったおりのこと、結婚したがらない息子のことが話題にのぼった。こうした身内どうしの会食には、気のおけない独特の和やかさがある。
 「うちの息子たちときたら、いったい何を考えているのか、さっぱり判らん」と、としとった父親の一人がぼやいた。恰幅のよい、見るからに厳格で頑固そうな人で、病気の後遺症のため、半身の自由が多少損なわれていた。「こんなふうに息子たちを育てたつもりはなかったんだが……」苦々しげにいうのを、傍らの妻は微笑みながら聞きながしている。おそらく、これまでにも、幾度か繰り返された会話に違いない。
 「結婚なんて、あれはもののはずみでするものですよ」と、同席者の一人がいい、
 「お母さんのような女性ひとをのぞんだって無理だからね」と、別の誰かがいって笑った。
 その家はもともと息子二人との四人家族だったのが、長男も次男も家を出て、今は各々に小さな部屋を借りて独り暮らしをしているという。父親はさる大会社の社長で、屋敷は広く、息子たちが結婚して世帯を持っても、共に住む余裕は充分あるのだそうだ。
 当の、四十歳を過ぎた息子が、まさに馬耳東風といった様子で、これ亦聞きながしているのが印象的だった。独身者独特の澄んだ感じのなかに、超然としたところがあって、“わが道をいく”といったふうである。両親が老人ホームに入ってくれれば、それで万事解決するとワリキッテいるらしかった。何とはなしの冷やかさが私には気になった。
 彼らの考えは、おそらく、親が育ててくれたのは親として当然であり、これからは親もとを離れて自分たちの人生を自由に生きる??というものだろう。自分の生き方には自分で責任をもつから、親とは関係がない。結婚するしないも、自分の自由な選択である。
 確かに、それはその通りかもしれないが、老いた父親を前にして、余所目には情に欠けているようにも見えた。
 私はその時、自分の小さかったころのことを思いだしていた。反抗期で、あのころは母と喧嘩ばかりしていた。
 「何よ、偉そうに。自分ひとりで大きくなった気でいて」母はヒステリックに叫んでいた。
 「いったい、誰のおかげで、ここまで大きくなったと思ってるの?」
 しかし、子どもが成人になり、親が年老いてくると、そんな言葉のやりとりは何の意味ももたなくなる。世代の交替を双方が意識せざるを得ないからである。
 人間は動物と違って、死なないうちから、自分の死や死後を気にする生きものである。それでも、昔は「家族」のなかにいて、その拠り所のおかげで、年とった親は落ちついていられた。わが子に対して、必要以上の遠慮や気兼ねをすることもなかった。制度的にも、そうした「家族」の永続性が強調されていたからである。「家」という意識は強く、親族の結束は固かった。正月の年始廻りは、それを確かめあう行事の一つであったといってもいい。今は個人に重点がおかれる反面、孤独になっても困っても、親身に救けてくれる身内は限られてくる。
 「家族」のカタチは今やぐらつきだした。現在は「家族」のカタチがいくつにも分れていて、好きなカタチを個々に選べるようになったのだという。問題は、それを選ぶのが年寄りではなくて元気な若い人たちだということである。そして、その若い人たちにも、必然的に“老い”を迎える日はやってくる。
 成人した子どもが、結婚するしないにかかわらず、親の家を出ていくのは、たいてい両親が共に健在の場合である。ともかくも親の家を出るからには“巣立ち”であり“独立”である。但し、それが、親と子と一対一の場合になると、結婚しないまま親の家にとどまる率は確実に多くなる。父親は既に死亡したか、離婚したか、或いは別居中で、母親が家にのこる場合が多いから、母子家庭はいとも自然に成り立つ。
 年老いた母親は成人した息子、或いは娘に向って、家を出ていけとは決していわない。積極的に結婚をすすめることもしない。口では早くいい相手を??といいながら、どこの母親も、内心は、わが子がいつまでも自分の傍にいてくれるようにと願っている。いつまでも幼い子であってほしいと願った昔と、その意味ではちっとも進歩がない。成人した子どものほうも、親によく盡くす。両者の間には他者がわりこめない排他的ともいえる親密な関係が成り立つ。こうした母子家庭を見るにつけ、いつも奇異な感じにとらわれるのは、成長が或る時点でとまった関係を見る思いがするからだろう。
 農家では今も昔ながらの、二代、三代、時には四代にわたる家族同居の生活がつづく。ただ、嫁が舅姑に遠慮していた昔と違って、両者の立ち場が逆転しているような感じをうける。そこでは、新しい家族制度のなかで、年寄りの知恵や経験も活かされて、以前よりも自由な家族関係が生まれている。??とはいいながら、私が山の仕事場にいて目にするのは、観光地化した山麓で田畑の作業をするよりも観光ホテルに勤めるほうを好む若い人たちがふえてきたことだ。年寄りだけでは農地の管理ができなくなり、次第に田畑の休耕地が目立つようになった。また、子どもが都会生活にあこがれて村を出ていったまま、戻ってこない場合もあったりする。
 昔の家族制度がなくなっても「家」の存続が依然として重要視されているのは“芸道”の社会で、「家族」は同じ仕事の世界にいる者どうしの、最も緊密な結合体である。特定の家業の場合がこれに次ぐ。「家」の名に恥じないよう、子どものうちから研鑽を磨くわけで、父親は子どもの師でもある。あらゆる意味の財産を継ぐ者にはそれなりの資格が必要だという考え方があって、自由と平等は、必ずしも公平ではなかったことを、私たちに教えてくれる。
 伝統工芸の世界でも、親の仕事を見ながら、子どもは育っていく。同じ屋根の下にいて仕事の大変さばかりが強調されれば、子が親のあとを継ぐ気にならなくなるのも無理はない。文明化の進んだ現代に生をうけた子どもには、親との価値感の違いもある。更に彼らは、自分の道を選択できる自由をもっている。後継者が家族にいない場合、国の助成による人材の育成が行われなければ、伝統工芸の技術そのものまで絶えてしまう。
 草木染の秋田八丈は、経糸と緯糸の織りなす色と光に、えもいわれぬ美しさがあり、その控えめで上品な色糸の交錯は、まさに“秋を着る”という言葉にふさわしい。しかし、織り元の滑川晨吉氏は、その技術をわが子に引き継ぐことができなかった。子どもが別の職業を選んだからである。
 また、氏自身が、あまりにも独自の感性に優れ、その技に卓越していたから、家族以外の後継者さえも育つことがなかった。そのため、ついに氏の代で幕を閉じることになってしまった。ひょっとしたら、自分の血すじ以外に伝えることの、別の難しさが生じていたかもしれないのだが……。
 天然記念物が消え去る時と同じような感慨を覚えたのは、私だけではなかっただろう。

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