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贋作天国ニッポン 大宮知信
第3回 贋作の氾濫と権威主義
大家には必ず偽物がある

 偽物の氾濫はいまに始まったことではない。加藤唐九郎の偽永仁の壺事件。奈良国立博物館の偽ガンダーラ仏事件。三越デパートの偽秘宝事件。佐伯祐三の真贋事件。「浜の真砂は尽きるとも世に贋作のタネは尽きまじ」という言葉もあるぐらいで、挙げていけばきりがないほどだ。古美術品は偽物だらけだ。
 テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」という番組がある。絵画や焼き物、古い玩具など何でも鑑定する番組で、こういう番組を長くやっていると出演者も目が利くようになるのか、司会の島田紳助は「掛け軸の真贋は90%当てられる」と豪語しているそうだ。担当プロデューサーが番組の裏話をまとめた本『開運!なんでも鑑定団』(角川文庫)で披露しているエピソードである。
 プロデューサーが「すごいね」と感心すると、紳助は「いや、番組で覚えたのは、本物は10本に1本もないっていう事実。だから、掛け軸を見せられたら『ニセモノです』と答えておけば、まず間違いない」と答えたという。お宝鑑定番組の司会者だからといって、そう簡単に目利きになれるわけではない。
 ことほどさように偽物が氾濫している。番組を利用して偽物を処分してしまおうといかがわしい物を平気で持ち込む御仁がいるらしい。番組の中で高値をつけてもらってガラクタを売りつけるのに利用しようとするのだ。そういうペテン師にだまされちゃいけないから、番組スタッフや出演している鑑定士もかなり神経を使うようだ。ま、他愛ないといえば他愛ない番組だが、絵画や骨董品の相場がある程度わかるという意味で素人コレクターには参考になるかもしれない。

なぜ贋作がはびこるのか

 どのくらいの贋作が出回っているのか、だれにも正確な数字はわからない。かつて東京美術倶楽部が調査したことがあるが、客の依頼を受けて鑑定した作品のうち贋作は全体の約4割に上った。有名な大家にはほとんど贋作があった。
 作家本人が見れば偽物はすぐ見破れるので、贋作といえばこれまでは圧倒的に物故作家のモノが多かったが、最近現存作家の贋作も出てくるようになった。技術が進歩したということもあるのだろう。現存作家の贋作が出回るのは、外国では珍しくはない。偽物が出てこなければ一流の画家とは言えないという言葉もあるぐらいだ。贋作が出るたびに作家はある種の快感を覚えるらしく、ピカソの贋作の最大のコレクターはピカソ自身だった、という伝説もある。
 奇妙なことにこれだけ偽物が出回っていて、刑事事件になることは極めて少ない。偽物を買わされても警察に訴える人がいないのだ。贋作をつかまされても告訴する人がいなければ犯罪にはならない。仮に画商が被害に遭っても名前が出たら命取りになりかねないので黙っている。画商にせよコレクターにせよ、偽物をつかまされるのは恥だからだ。税務署の目も怖い。仮に偽物を買ってしまっても授業料を払わされたと思って、じっと我慢してしまう。だから贋作ブローカーが暗躍する下地は十分にあるのだ。
 贋作が発覚するのは一部のケース。偽物を買ってそれと知らずに壁に飾っている人が少なくない。気に入っているのだろうから、それはそれでハッピーなことだが、転売するときに偽物であることがわかっても後の祭りである。

偽物を取り引きする会

 普通の交換会は本物であることを保証するが、怪しげなものを扱う交換会がある。こういう玉石混淆の交換会は本物であるという保証をしない。ガラクタや偽物もあれば掘り出し物が混じっていることもある。もし運悪く偽物を買ってしまったらしばらく寝かせて、また保証のない交換会で処分してしまう。そういう怪しげなものを欲しがる業者もいる。巨匠の贋作を数万円で買って、素人のコレクターに数十万円、数百万円で売りさばいてしまうのである。
 本物は大事にされるのでなかなか動かないが、偽物は持っていたくないものだからよく動く。裏の世界で動いているところへまた新たな偽物が供給され、だんだん数が増えていくということになる。結局、いつまでもなくならずにあちこちぐるぐる回って、持ち主が焼却処分でもしない限り、いつまでも残る。
 まともな商売人だったらレッテルと中身が違うイミテーションはまず売らない。ところが、美術品という商品は本物と偽物の判別が非常に難しい。何が本物で何がイミテーションか、その差は紙一重であるということは前回も述べた。
 絵に限らず高額商品は、信頼できるところから購入するのは当然である。購入した後で贋作であることがわかっても、すぐに引き取ってくれるところから購入していれば安心だ。悪徳業者は贋作がばれても言を左右にして認めず、引き取らない場合が多い。しかし、業者を選べといわれても、どんな業者が信頼できて、どんな業者が信頼できないのか。川の流れと同様、この業界は清流と濁っている部分が明瞭に分かれているわけではない。信用できる業者かそうでないか、それを見極めるのがコレクターの第一歩だろう。

芸術作品の裏は価格

 芸術作品はひとたび作者の手を離れると金銭で取り引きされる商品となる。海外のオークションは公開されるので、コレクターも落札結果を知ることが出来るし、相場もある程度わかる。公開オークションがまだ根づいていない日本では、交換会が実質的に相場形成の場となっている。交換会に一般の人は参加することはできず、落札価格も公表されない。多くの画商は交換会で商品を仕入れるが、コレクターに販売する場合の小売値はまちまちだ。
 一般の美術愛好家が正確な絵の値段を把握するのは不可能だ。美術品は値段があってないようなものと言われるが、こうした価格形成の不透明さが美術品の値段をさらにわかりにくいものにしている。美術品に適正価格とか標準小売価格というようなものは存在しない。極端に言えば1000万円で仕入れた絵を隣の画廊に2000万円で売ってもうけることも可能だ。
 当初1万円と見られていた絵がゴッホの真作と判明し、オークションで6600万円にはね上がったという出来事があったが、怪しげな市や店で掘り出し物を目当てに変なモノを買ったりすると痛い目に遭う。ある画商が言う。
 「われわれでも自信のない場合がありますよ。なんかおかしいなと思ったら、仲間の画商に見てもらうか、東京美術倶楽部の鑑定に持っていきます。あいつ偽物売ってたよなんて言われるの嫌だからね。私のところにも変な物がよく持ち込まれますよ。偽物はこれニセだよと言って返す。だけど所有者は、こっちがダメならあっちで売るさとばかり他のルートで転売してしまう。まわり回って、また同じ偽物を見せられることがあります。ダメなやつはバッテンしちゃえばいいんだけど、偽物といえど人のものですから、それが出来ない」
 結局偽物はいつまでもなくならず、最後に買った人が被害者ということになる。

投機と権威主義が背景に

 1990年5月、大昭和製紙名誉会長の斎藤了英氏(故人)が250億円でゴッホとルノワールの名画を購入し、「オレが死んだら、あの二点は棺桶に入れて焼いてくれ」と言って世間の顰蹙をかったことはご記憶の人も多いと思う。斎藤氏は生前「静岡県日本平に美術館を建てて、ゴッホ、ルノワール、平山郁夫画伯の絵を飾りたい」と語っていた。
 印象派の代表的画家、ルノワールは注文に応じて明るい色調の肖像画を描きまくった売れっ子画家。ゴッホは印象派の影響を受けた画家だが、生前はほとんど認められず、ピストル自殺をした。平山郁夫氏はご存じのように芸大学長を2度も経験した日本画の大家である。超有名な大家で美術市場で恐ろしく値段が高いということ以外、この3人の作家には何の共通点もない。
 イギリスの新聞は名前に弱い日本人の国民性を「グッチ・シンドローム(ブランド症候群)」と皮肉っている。ブランド商品はステータスシンボルであり、ブランド物を買うことでハイソサエティの仲間入りが出来るという幻想を買っている。日本人にとってブランド物はまさにファンタジーなのだ。高級絵画も同様である。恐らく斎藤氏の頭の中にある芸術の価値基準は値段しかなかったのではあるまいか。値段が高い絵がすなわち名画であると思っていたのだろう。これは斎藤氏に限らない。こういう人が日本人には多いのではないか。
 無名の作家の贋作はない。売れそうもない無名の作家の偽物を作っても儲からないからだ。いい絵を描く無名の作家はたくさんいる。ところが、多くの日本人は無名の作家を自分の目で発見するということがない。無名の作家の作品には見向きもしないで、大家の作品には惜しみなく大金を投じる。値上がりするだろうというスケベ心もある。この権威主義が贋作を生む最大の要因だ。

外国人コレクターの鑑識眼

 伊藤若冲がブームになっている。2000年に京都国立博物館で「若冲展」が開かれた。入館者は約1カ月で約9万3000人を数えた。その後静岡県立美術館、全国各地の美術館で若冲の展覧会が開かれるようになった。
 若冲のコレクションで有名な人が、アメリカ人コレクター、ジョー・プライス氏。今年夏には東京国立博物館で「若冲と江戸絵画展」が開かれたが、この展示の元になったのもジョー・プライス氏のコレクションだった。これまであまり知られていなかった画家・伊藤若冲を発掘したのはプライス氏であるといってもいい。プライス氏は伊藤若冲がどういう画家なのかまったく知らなかったという。自分がいいと思ったから買ったのであり、名前に惹かれて買ったわけではない。
 伊藤若冲の贋作が出回ったという話はあまり聞かない。一般には無名の画家だったからだ。それと若冲は贋作を作るのが難しいということもあるだろう。精密な写実画であり、枡目ますめ画だから相当なテクニックを必要とする。
 見巧者みごうしゃという言葉がある。昔芝居好きの人の間でよく使われた言葉で、芸人は巧者と呼ばれるのにたいし、見巧者とは芸人の芸をちゃんと評価できる人のことだ。芸人にとって巧者といわれるのは名誉なことだが、お客もその芸の真髄を評価できる見巧者といわれることは名誉なことだった。江戸絵画のコレクター、プライス氏はいわば美術の見巧者。偽物にだまされないためにも、そういう見巧者といわれるような美術愛好家を目指したいものだ。

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