Web草思
贋作天国ニッポン 大宮知信
第2回 サイン一つで変わる芸術の価値
画像の掲載は著作権侵害?

 アメリカをはじめ各国に、巨匠の名画の模写絵をコピー商品として販売するビジネスがある。巨匠のサインは入れず、あくまでもコピーとして販売する。手軽なインテリア商品として、けっこうビジネスになっているらしい。
 著作権問題に関する文化庁の見解では、国際的に著作権のルールは確立されていて、著作者の生存している期間と没後50年は保護される権利がある。著作権の中には複製権というのがあって、著作権者に無断で複製することを禁じている。名画の模写を販売する商売は、著作権が消滅した(死後50年以上経っている)巨匠の作品ばかりだから、国際的な著作権のルールもクリアしている。
 ネットオークションに出品された絵の画像をめぐって裁判沙汰が起きている。横浜市が市税滞納者から差し押さえた絵画を公売するために絵画の画像をネット上に掲載したのは著作権侵害だとして、昨年10月、著作権管理会社が同市を相手取り、使用料を求める訴えを東京地裁に起こした。ネットに掲載された絵画の画像が著作権侵害で訴えられるケースは珍しい。
 日本の美術家は著作権に対する十分な知識がなく、掲載に当たって許諾を要求するケースはあまりなく、使用料を請求されることもほとんどない。絵を売るのに肝心の作品の写真がなければ話にならない。裁判の行方がどうなるかはわからないが、著作権侵害と判断されれば影響は大きい。著作権管理者に照会があれば当然真贋はチェックされる。著作権の許可を取らなければいけないということになると、ネットオークションを舞台にした贋作商売はやりにくくなるだろう。

盗作疑惑の画家に芸術選奨

 ところで2005年度の芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した画家・和田義彦氏の作品がイタリア人画家、アルベルト・スギ氏の作品の盗作だという疑惑が明るみに出て連日テレビのワイドショーや新聞で報道された。
 和田氏は東京芸大大学院を修了後、1971年イタリアに留学。2002年に安田火災東郷青児美術館大賞を受賞。昨年は河北倫明賞を受賞している。イタリアで古美術の修復技術を学び、名画の模写に励んだ。模写技術は高いといわれているが、模写絵に自分のサインを入れたら盗作になる。
 1977年に創設された東郷青児賞は中堅画家に贈られるもので、美術界では権威ある賞の一つといわれている。この東郷青児賞を受賞後、三重県立美術館、つくば美術館などで大々的に展覧会が開かれたことが芸術選奨の受賞理由になっている。和田氏は「オリジナルだ」と主張しているが、文化庁は「構図、色彩、モチーフなど基本的な点でスギ氏の作品と一致している。盗作と見られてもやむを得ない」との判断を下し、授賞を取り消した。長い歴史のある芸術選奨の授賞取り消しは初めてのことらしい。東郷青児賞の授賞も取り消された。
 私を含めて外野はどうしてこういう画家の作品を「権威のある」賞の対象として選んだのかという疑問を抱くが、東郷青児賞や芸術選奨の選考委員に和田氏と付き合いのある美術評論家がいて、その影響力が行使されたからではないかといわれている。作品の評価以前に、候補者と選考委員との人間関係が受賞を左右する場合が往々にしてあるというのは美術界では常識である。

人気画家の剽窃事件

 和田氏が盗用したと見られる作品は23点に上る。いずれもスギ氏の作品とよく似ている。この世界で盗作事件は珍しいことではないが、これほど他の作品と酷似している例は珍しい。スギ氏はイタリアでは名の知られた画家だったが、日本では無名だった。だからパクってもばれないだろうと思ったのだろうか。
 和田氏は国画会という一応ステータスのある団体の会員だったが、一般には無名の画家だった。無名画家ゆえの焦りがあったのかもしれない。
 だが、和田氏以前にも、東京芸大の現職助教授の剽窃事件というのがあった。日本画家の下田義寛氏が外国写真家の作品を無断で自作に利用していたことが問題になり、1987年5月14日付で芸大助教授の職を辞した事件である。下田氏は、当時美術学部教授だった平山郁夫氏の部下で日本美術院の評議員でもあった。日本画壇の若きホープと評される売れっ子だっただけに、新聞や雑誌のバッシングを受けて一時は再起不能とまでいわれたが、また最近復活したという。売れっ子画家が忙しさのあまりついついドジを踏んでしまったというところだろうか。
 パロディ作家、マッド・アマノ氏の有名な著作権裁判がある。アルプスの山を撮った写真家白川義員の作品にタイヤの跡を付けたパロディ作品が著作権侵害に問われた事件である。「パロディは見る側の自由な批評の一つであり著作権として認めるべきで、もっと発展させていかなければいけない」(美術評論家・針生一郎氏)が、下田氏や和田氏の作品はパロディにもなっていなかった。

模写が贋作に変わる瞬間

 盗用は著作権を侵害するという意味で贋作と同じだが、盗作と贋作はちょっと違う。何をもって贋作とするか、定義は難しいが、有名な作家の作品にそっくり似せて描いて、これでひと儲けしようと企むのが本当の意味での贋作。例の和田氏の作品にアルベルト・スギというサインを入れたら贋作になるが、和田氏は自分の名前を書き入れたため盗作とされた。贋作と模写は紙一重である。
 盗作画家と贋作絵師は、他人のふんどしで相撲を取るという点では変わりがない。作品を見て借用した画家の名前を書き入れるか、自分の名前を書き入れるかの違いでしかない。贋作と真作の最大の違いは値段の違いだ。巨匠の名前を入れた途端に値段がはね上がる。市場で巨匠の本物だったら何千万円、ときには何億円という高値がつくが、偽物だったら二束三文である。前回紹介した岡本太郎のニセモノは専門家の鑑定によると、わずか5000円程度、額縁代ぐらいの価値しかなかったが、もし本物だったら800万円はするという。
 金儲けではなく技術の修練のために巨匠の作品の模倣をした絵が、後世になってから巨匠の作品として流通してしまうことがある。日本画の大家、平山郁夫のニセ絵を描いて警察に捕まった芸大受験生がいる。受験生が修業のために描いた平山の模写絵を商売人が本物として売っていた。
 師匠の真似をすることから勉強が始まるのは絵に限ったことではない。芸術は何でもそうだ。巨匠の作品を模写し、芸術の本質、精神、哲学を学びながら、自分の作風を確立していく。その模写した絵が模写のままとどまっていればいいが、巨匠の名前を書き入れた時点でそれは贋作となる。

本物と偽物は紙一重

 1987年に安田火災海上保険(現・損保ジャパン)がゴッホの「ひまわり」を53億円という高値で落札して当時大きな話題になった。この作品を所蔵する東郷青児美術館は名前の通り二科会の重鎮だった画家・東郷青児の美術館だが、東郷の作品よりゴッホの「ひまわり」が目玉ではないかと皮肉をいう美術業界関係者もいる。ところで当時この「ひまわり」は贋作ではないかという指摘があった。サインがないことや花瓶の形が他の「ひまわり」と異なることから、イギリス、フランス、イタリアのマスコミがそろって「史上最高額の贋作」と書き立てた。安田火災海上は「本物と確信している」と言っている。
 かつて、この東郷青児の弟子の画家が、東郷の作品は私が代筆していたと週刊誌に衝撃の告白をして大騒ぎになったことがある。東郷のサインが入っているから贋作とは言えないが、代筆してもらった作品が本物と言えるのかどうか疑問がある。
 弟子が描いた絵はあくまでも弟子の作品であるというのが現代の美術界の常識で、東郷青児の絵ということにはならない。いくら本人が承知でも、弟子の描いた絵に自分のサインを入れるということは、贋作作りに手を貸していることに他ならない。ところが本人以外の第三者が描き、サインもその第三者が大家の名前を書き込んだ絵は間違いなく贋作だが、他人が描いたものでも大家自身がサインをすれば、その大家の作品として通ってしまう。まさに本物と偽物は紙一重である。
 東郷は、二科会の画家でもあった藤田嗣治の直弟子を自称していた。画商やコレクターから藤田作品の鑑定を依頼されることが多く、特製のラベルを作って藤田の真作であることを保証していた。藤田は非常に偽物が多いことで有名だ。本人はパリ在住だったため、決定的な鑑定人がいなかった。
 ある人が東郷に3点の藤田の作品の鑑定を依頼したところ、2点は偽物で、本物は1点だけという返事が戻ってきた。たまたまこの人が仕事でパリへ行くことになって、3枚の絵を直接藤田本人に見てもらったところ、東郷が偽物とした2点は本物で、本物とした1点が偽物だった。この一件で東郷の権威は失墜し、藤田が亡くなった後は東京美術倶楽部が鑑定をすることになった。

盗作も贋作も根は同じ

 ピカソのアトリエを訪ねた岡本太郎が、焼き物の名産地ヴァロリスの工房に並べられている陶器がピカソの作品にひどく似ていることに驚いて「ずいぶんピカソが影響していますね」というと、工房の主は「ここにあるのは全部ヴァロリスの昔からの形式ですよ」と言った。逆にピカソが影響されていたのだ。ピカソは「実に巧みに他から摂取する驚くべき応用の才を持ち合わせている」(岡本太郎『青春ピカソ』新潮文庫)と書いている。
 ピカソは同時代の作家だけでなく、巨匠の絵の構図なども自分の作品の中に取り入れていた。それは盗作や剽窃ということとはまったく違う。ピカソはそれらのいい点を貪欲に吸収し、オリジナルの作品として消化してしまっていた。
 芸術の基本は模写である。いうまでもないが、テクニックと芸術性はまったく別。盗作画家や贋作絵師は他人の作品を真似して描くテクニックはあるが、オリジナリティのある絵を描く力がないということだろう。
 巨匠の作品を参考にするのは当たり前だが、それをそのまま真似するだけでは芸術にならない。自分の作品として消化できるかどうかが、本物と偽物の分かれ目となる。盗作も贋作も模写という生まれてくる根っこは同じである。先人の傑作を自分のものに出来ない画家が贋作や盗作に走ったりする。

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