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道草教育のゆくえ?新設された同志社小学校の現場より? 増田晶文
最終回 「人間力の基礎」を身につけるということ
 数ヶ月ぶりに同志社小学校を訪れた。
 ちょうど昼休みで、多くの子どもたちがドッジボールに興じている。彼らの姿を遠目にすると、無邪気さと溌剌さが噴きだしているようで眩しい。思わず頬がゆるむ。
 花壇では、ドッジボールの群れから離れた男女の児童が、連れ立って熱心に花を覗きこんでいる。
 「なにしてんの?」
 「虫がいてんの。てんとう虫。ナナホシテントウ」
 「ほんまや、おるおる。これ、捕まえんの?」
 二人は大きく首を横に振った。
 「見てるねん。ただ見てるだけやねん。捕まえへん」
 「飛んでいってもたら、どないする?」
 男の子と女の子は交互に私を見た。それから二人で顔を見合わせ、フフフと笑った。

トップダウン方式をとらない

 鈴木直人校長は開校以来の1年を振り返る。
 「同志社らしさというのを、この小学校なりに実現しつつあると思います。もちろん完璧とはよういわんけど、カラーらしきものは出せたんじゃないですかね。何より、型にはまった子を育てたくないという想いは教職員全員が共有しています。手探りだけど、目指す方向ははっきりしているわけですから」
 鈴木校長は、大学教授をはじめ公務をいくつも抱えている。そんな中で多くの時間を小学校教育にあてているわけで、いつしか、人と会うたびに「大変でしょう」「身体は大丈夫ですか」と声をかけられるようになった。
 「二股、三股をかけているのは事実だし、物理的な時間配分に苦心しているのも本当のことです。けど、小学校の仕事は楽しいですよ。子どもたちから元気をもらっているというのかな、あの子らは感情表現がストレートですからね。喜怒哀楽をドーンと投げつけてくる。それがおもしろいし、やりがいにもつながっています」
 鈴木校長には、どこか少年の面影が残っていて、はしっこい動物を連想させるところもあり、そこが彼の魅力になっている。おそらくこの人は、尊大さや重厚さを醸すことを、つとめて自戒しているのだろう。ごく自然に自分の目線を、話し相手のそれに合わせてくれるから会話がテンポよく進んでいく。話の中で意見ばかりか異見に出あうと、生き生きするのも教育者として大事な資質ではないか。
 「大学のゼミ生なんて、私のことを先生と思ってないんじゃないですか。教授の言葉をありがたく拝聴せず、どんどん反論や異論をぶつけてきます。中には私を叱りつける学生もいますからね」
 鈴木校長は同志社小学校でトップダウンという方法を用いない。
 「私云々ということでなく、同志社という組織がそうなんですよ。校祖の新島襄がアメリカで洗礼を受けたのはプロテスタントの中でも『会衆派』とか『組合派』とよばれるグループでした。もう一派の長老派はトップダウンだけど、会衆派はみんなの意見を聞いて決めていきます。もし懸案が激しく対立したり、非常な僅差の場合は議決しないんです」
 校長は笑いながら、「大方の意見がその方向で、まあこのくらいならいいんじゃないか、全体像がぼんやりとわかっていればそれでよしって感じです」と付け加えた。
 「白黒の二元論で切っていくと、同志社のやり方は非常にまどろっこしいし、中途半端ですよね。けど、世の中なんてシロとクロだけで存在してないでしょう。グレーの部分があって、しかもその濃淡がバリエーション豊富で複雑です。そこに目をやらずに、イエスかノーで決を採ってしまうのは、非常に危険なんですよ。全員の意見が一緒だというのは気持ち悪い。個性を放擲しているのと同じです」
 確かに、なるほどとは思う。だが、そんな按配で学校運営がスムーズに伸展していくのかが不安になってくる。強烈な、それこそ嫌な言葉だが〝カリズマ〟と呼ばれるような存在が、時には必要なのではないか。そのほうが組織は効率よく円滑に進むのではないか。
 当惑している私を見て、鈴木校長は笑顔のまま言葉を継いだ。
 「同志社は決定が遅い分、それだけアクションも遅い。これはもう否定のしようがありません。でも同志社の人間は、このことをそれほど気にしていません。逆に美しい伝統だと思っているくらいです」
 同志社の美風とまでいわれ、この大学を出た私は少し鼻白んだ。さらには1990年代の立命館が、トップダウン方式でかつてないほど大胆で迅速な学校改革、大学改革を成し遂げたことを思い起こした。火焔をあげて爆走する立命館に比べ、確かに同志社の対処はやきもきするほどスローモーだった。
 たとえば、2002年に発表された21世紀COEプログラム(日本学術振興会が認定する、国際競争力と個性をもった大学や研究への支援制度)で立命館は早慶に次いで私学3位の実績をあげたが、同志社は見事に落選ばかりという惨状だった。OBの間からは、「同志社は何をしているんだ!」という叱責や憤懣の声が上がったものだ。
 まして立命館は同志社と同時期に小学校をつくった。当然、世間は両校をライバルだとみなしている。立命館小は、百マス計算で名を揚げた御仁を副校長に据えた。このことがシンボライズするように、学力伸長のアピールに余念がない。「道草教育」を掲げ、夏休みや冬休みには、校長みずから「せっかく学校が休みになるんだから、勉強のドリルに熱中するより、たくさん遊びなさい」という同志社小とはかなり毛色が違う──。
 鈴木校長は学校の意思決定の在り方について補足した。
 「先生はひとり、ひとり意見を持っているはずです。それが個性だし、私はこれを大事にしたいんです。だって、組織というものは哀しいもので、トップが物事を決めてしまうと、なし崩し的にみんなが従ってしまうでしょ」
 これまで、鈴木校長が意見を押し通したのは一度だけだという。今年の入学式で、在校生の2年生から4年生を全員出席させ、新入生を迎えようというアイディアだった。
 「先生の中からは、在校生だって新しいクラスになったばかりで馴れていないのだから、全員がお行儀よく式に参列できないかもしれない。せっかくの入学式に水を差してしまうという声が出ました」
 もっともだと鈴木校長も思った。だが彼はこう切り返した。
 「もし騒ぐ子がいたとしても、それはそれでいいんじゃないですか」
 それは、この1年で同志社小が、子どもたちに大事な場所に出たときけじめをつける教育をできなかったということを意味する。
 「新入生の親御さんたちには、私たちの行き届かなかったところも、ちゃんと見てもらうべきだといったんです」
 とはいえ、鈴木校長と教員の間で所思が存分に行き来しているかということについては、及第点に価すると考えていない。
 「ゼミの学生たちみたいに、先生たちも私にいろんな意見をぶつけてきてほしいです。校長、それはおかしいんと違いますか? って声を生でぶつけてほしい」
 鈴木校長は腕を組んだ??先生という仕事は想像以上に忙しい。それこそ、朝から夜までやらなければいけないことが山積みだ。教育と真正面から取組むほど、仕事が生まれてくる。同志社小でも夜の8時、9時まで職員室に灯がついている。
 「先生が忙しすぎるから、声を発する暇もないのかもしれません。もうひとつ、私が声をかけにくい雰囲気をつくっているのかもしれませんね。これは同志社小2年目の大きな課題です」
 だが鈴木校長に焦りの色はない。子どもに「道草」を奨励するのと同じく、小学校づくりの道程でも、あっちへ寄り、こっちで佇むことを厭わないようだ。
 いみじくも新島襄は、自身を含む2名の教師と6人の生徒からなる、ちっぽけな英学校を京都で立ち上げた。だが彼は、高邁な理想と信念をもって言い放った。
「国家百年の大計のため私立大学を設立することこそが、生徒独自の能力を十二分に発揮させ、自治独立の人民を育成することになる」

教師と生徒との関係

 私は同志社小が高く掲げた理想や理念に共鳴している。同志社小の目指すところについては、本連載で何度も述べてきたから、ぜひ参照していただきたい。
 私はこの小学校の児童たちに、「自由で、のびのびしている」という印象を持っている。どの子も肩に余計な力が入っていないところがいい。だが、敢えて「子どもらしい」とはいいたくない。「子どもらしさ」を定義するのは愚の骨頂だし、そんなものを決める権利は誰にもない。
 同志社小の授業を参観していて、興味深かったエピソードをひとつ書く。
 それは前回に紹介した江藤多恵先生の音楽の時間のことだった。ある子が、授業開始からずっと〝異分子ぶり〟を発揮して、まともに参加しようとしない。そのうち、児童の言動は目に余るようになった。先生は彼を教室の外へ連れ出した。せっかくの授業が中断する結果となった。しかし、残った子どもたちはそれぞれが発声練習に余念がない。もちろん、ふざけたり、私語を交わしながらなのだが、それでも先生のいない空白の時間にやるべきことをやっていた。
 教室の外では、江藤先生が児童と一対一になっている。怒鳴ったり高圧的になったりするのではなく、つとめて穏やかに、何とかこの子の心情を汲もうとする姿勢が見て取れた。
 「問題児ってのは、やっぱり学校にとって厄介者なんでしょうね」
 私がこう漏らすと、鈴木校長は即答した。
 「問題児って言い方の解釈にもよるでしょうが、私も先生がたもあの子を悪いベクトルでは考えていません。ウチの学校があの子を受け入れている以上は、子どもがイヤだといって出て行くならともかく、私たちは同志社小の一員としてできる限りのことをするつもりです。大事なのは子どもの将来にとって、何が一番望ましいかということですからね。その子のニーズにウチが沿えないと判断されたなら、これはもう仕方のないことです、残念ではありますが」
 児童と教師とて人間同士だ。だからこそ、なかなかに難しいところが多い。冒頭で私はドッジボールに興じる子どもたちを、無邪気だといい、溌剌としていると書いた。だが、これは大人の勝手な幻想にすぎないのであって、小さな子であっても、それなりに鬱屈は抱えている可能性を否定できない。
 かくいう私も小学3、4年の頃は担任教師と徹底的にソリがあわず、学校がちっともおもしろくなかった。そのくせ、なかなか親には心情を吐露できなかった。意味もなく、ただガマンすべきだと自分で決めていた。
 そのときの担任だった熊本大学卒の新人教師は、万事に自分の価値観を被せて強要してきた。私は幼い頃から、こういうアプローチが大の苦手だった。好きなようにやらせてほしい、あれこれ干渉しないでいただきたい子どもだった。これは、家長として君臨していた祖父と決定的に不仲だったことと同根の問題でもある。
 おまけに、担任は何かあればビンタをふるい大声で威圧したものだ。彼は教え子を「教育」の名のもと、気の向くままに張り飛ばせるが、間違っても私たちはそうはいかない。
 彼の生家の環境か、あるいは育った土地柄なのか、それとも熊大教育学部ではそういうふうにノウハウを仕込んだのだろうか。彼の率いる私たちのクラスは、映画で見知った軍隊のような按配だった。「右向け右!」の号令に、思わず左を見てしまう私はどうも居心地が悪い。級友が例によって往復の平手打ちを食らった瞬間、「痛い!」と叫んだこともあった。先生は、「ナイーブなんだな」と皮肉な笑いを浮かべたものだ。
 私はこの教師を受け入れず、彼は彼で「子どもらしくない」と酷評した。子どもにとって、「社会」あるいは「世界」というのは家庭と学校くらいしかなく、極めて狭い。その分、児童と教師の関係、距離感はとてつもなく濃密になる。少なくとも私はこの教師のおかげで、大人と子ども、あるいは教師と生徒という枠を越え、決して相容れない垣根が存在することを実感した。そのことが良かったのか、悪かったのか、未だによくわからない。ただ、47歳になっても彼のことは大嫌いなままだ。おそらく、彼も私のことを思い出したら顔を顰めることだろう。
 だから自分の子どもがクラス替えするたびに、「今度の担任はどうだ」「うまくやっていけそうか」と尋ねずにはいられない。とはいえ、最近の教師は暴力をふるわない。子どもに媚び、擦り寄るタイプも多い。反対に生徒との接触を極力避けて通る手合いもいるようだ。結果として、教室という限られた空間での教師と生徒の間には妙な空白地帯ができてしまっている??余談が過ぎた。
 少なくとも同志社小では、子どもを一人の個性、人間として扱っていることを知って安心した。生徒と教師は人間同士だからこそ、暴力と権力で威圧してはいけない。教師もまた人間である以上、誤謬なしで成立しないのだから。

「数字」にあらわされるもの

 同志社小の評判は、いまのところ極めて良い。
 だが、内実を知らない人がイメージだけでこの小学校へ寄せる好意には、やはり関西における同志社ブランドの威力があるはずだ。鈴木校長は〝エスタブリッシュメント〟という言葉に敏感で、私が口にすると間髪をいれず否定する。
 「エスタブリッシュメントの定義の問題でもあるけれど、同志社小はそういうのと関係ないと思っています」
 鼻持ちならないエリートは必要ない??多くの関係者たちが、創設以前の段階からこう警句を発したというのは、裏を返せば少なからず危惧があったということになろう。
 もっとも、エスタブリッシュメントとエリートを安易に等価で結ぶわけにもいかない。慶應には三代、四代続けて子息を通わせている家が〝ザラ〟にあるし、同志社にも同じようなケースがある。しかも、たいていが〝大金持ち〟ということに落ち着く。貧乏人でこのパターンというのを、私は寡聞にして知らない。
 こういった資力も学力も(あるいは家柄も)恵まれた人々が抱く、「校風」に対するシンパシーあるいはロイヤルティーも、まったくエリート意識と無関係とはいえまい。早い話が、慶應は誰もが認める有名校であり、偏差値的な難関校にして、経済界に多数のOBを輩出する名門校でもある。これらのどの面においても、同志社は慶應に何歩も譲るのだが、だからといって凡庸な大学でもない。中の上あるいは上の下という入試偏差値、関西特区とでもいうべき立地事情などを加味した微妙なポジションとバランス……どうも、この問題は私の中で堂々巡りになり、こんがらがってしまう。
 もうひとつ、同志社小が偏差値教育にどう対峙していくかも衆目を集めている。
 前述したように〝ライバル〟の立命館小はこの点でかなり露骨な路線をとっている。塾の関係者から聞いたのだが、同志社小と立命館小の両方に合格し、迷わず立命館小を選んだ親もいるという。しかも、この親は同志社大を卒業しているというのだから、先ほどの問題を絡めると興味深い。
 そんな話をふっても、鈴木校長はただ笑っているだけだ。
 「お受験の塾は明確に同志社小向き、立命館小向きというように、子どもを分けてるみたいですよ。だってウチは真の学力と偏差値を別個に考えていますもん。偏差値なんかより大事なものがあって、それが人間力だと明言してますからね」
 そういえば??同志社小のある男性教師は、一貫して小学校教育に携わってきた。
 「私はずっと私立小学校で教壇に立っていました。そこは、受験学力を養成する進学校でもありました」
 彼は、そんな環境の中で違和感を背負い続けてきた。小学生にとって本当の大事なことは何かを突き詰めて考えた。現実と理想の間で迷い、苦しんだ。結果として、前任の小学校で夢を追いかけるのは無理だと判断した。
 「勉強と競争、点数だけの世界が、子どもにとってどんな意味があるのか、どんな影響を与えるのかはすぐに想像できるはずです」
 それ以上にやるせなかったのは、親が偏差値に縛られ、偏狭な隘路に追いやられることだった。
 「有名中学を受験させる親御さんは、どなたもブランド志向に走ってしまいます。子どもに受験勉強をさせること、有名中学に合格することが、ご自身の自信の裏づけにもなってくるんです。自分自身で充足を見つけられなくて、他人から点数や数値で評価されないと納得できない」
 その結果、「子どもの成績が悪い=親が悪い」となり、子への低評価を(それとて偏差値だけの話なのだが)まるで親が自己否定されているように受けとめてしまう。テストの点が振るわないと、親子もろともスピンアウトしてしまった感覚に襲われ、過激で過剰な反応を示す。
 実は、私の息子もこの春まで中学受験で苦悶していた。受験の戦場で奮迅した息子を私はほめてやりたい。わが子の横で、私は偏差値に抗い、本質的な部分で塾を否定しながら、同時に〝受験生の父〟であるという自家撞着を行ってきた。いや正直にいうと、何度も偏差値に足元をすくわれ、泥沼に引き込まれそうになってしまった。
 テストだけでなく会社員の給料もそうだし、スポーツの世界も数字で成績の優劣を示す。書籍だって部数という形で世間の評価が数値化される。これは大変に便利だし分かりやすい。だが、100点と99点の差がいかほどのものか、もっというと0点で何か悪いのか??この議論は、世論という規模のみならず、一人の中でも常に対立し、せめぎあっているのではなかろうか。少なくとも私はそうだ。
 先ほどの教師は続けた。
 「つまるところ、誰もが確固とした人間の基準を持ちあぐねているんです。自分だけの価値判断ができず、絶えず誰か他人に評価してほしいという形になってしまっています。学校教育だって、大事なのは中身であってブランドや偏差値じゃありません」
 彼は同志社小学校に学ぶ児童をこう評した。
 「素直で、世間ズレしてない子が多いです。ギスギスしてないし、いい意味のお坊ちゃん、お嬢ちゃんだと思います。向上心をみんなが持ってくれていますが、それは純粋に自分を高めたいという願いであって、他人を蹴落とすという発想に結びついていないのが、私にはうれしいです。偏差値教育で独走してしまうと、ここのところに歪が生じてしまいます」
 さらに彼は教師たちにも言及してくれた。
 「私もそうですが、この学校には教師としての夢を託しています。いろんなバックボーンを持った先生方、しかも平均したら30歳そこそこの若い先生方です。まだお互いが様子を見ている感じも否めませんから、もっと、もっとホンネでぶつかって、よりよい形の教育を実践したいです」
 しかし、現実に同志社小の児童には塾に通っている子が少なくない。たとえ、あえかなものであっても、親たちのエリート意識を刺激する同志社ブランドがあり、よっぽどのことがない限りその大学までエスカレーターで上がれ、他校にないユニークな「道草教育」を実施している学校を選んだにもかかわらず??そんなことを指摘すると鈴木校長も苦笑してしまった。
 「親御さんが、うちの子は京大や医科歯科大を目指すというのを、私が否定するわけにはいきません。けどね、試験に出るから勉強しようという子と、何でやろ、どないなってんのやろって興味から勉強する子、どっちが学ぶ姿勢としてより良いか。最終的にどちらが力がつくか、誰にだって自明だと思うんですけどね」
 加えて、鈴木校長は人間力の育成と練磨を強調してやまない。ここでも私はツッコミを入れた。
 「先生は、善人であれかしって教えていらっしゃるわけですよね」
 「はい。子どもたちには善人であってほしいですね」
 「でも先生、世の中はそうそう理想郷のようにはいかないでしょう。自由を与えたら勝手にはき違えるヤツが出てくるし、世の中は善人ばかりじゃありません。かえってズルをしたり狡猾に立ち回ったヤツのほうが得をしているのが現実じゃないですか」
 「同志社小学校では毎朝礼拝をしています。そこでは、世の中が悪い人ばっかりで出来ていると教えたくはありません」
 鈴木校長はきっぱりといい切った。
 「この子たちは純粋培養に近いと思います。やがて中学、高校、大学と進むにつれ、外から来た子たちと交わり、世の中の実態を知っていくでしょう。善人になれと小学校の校長はいってたけど、そんなんで世の中なんか渡っていかれへん! と立腹する子も出てくるでしょう。どの子も現実と出会って葛藤するはずです。けど、私はそれでいいと思っているし、そうあるべきだと信じています。同志社小で人間力の基礎をきちんと身につけておけば、現実社会を見て、世の中の矛盾や汚濁を知っても、しっかりと生きていけるはずです」
 取材を終え、私は一人で花壇を覗き込んだ。来たときにここにいた子とは違う児童が、あの子たちに比べると年長らしき女の子が、不思議そうに近寄ってきた。
 「なに、してはるんですか」
 「虫、さがしてんねん。お昼にはテントムシがおってんで、ここに。けど、もう飛んでいったみたい」
 「テントムシ、好きなんですか」
 「まあね。ちょっと気になってん」
 彼女はニコっと頬を緩めた。
 「明日、またお昼に来はったらええのに。きっとテントムシも来はるわ」
(了)

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