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58号線の裏へ 駒沢敏器
第38回 沖縄はお買い得
 いつも目のまえにある巨大な基地に反感と敵意を抱きながら、沖縄の人々はその一方で、アメリカと上手くつきあう方法を模索してきた。それは良く言えば、拒否しながらも間口のどこかは必ず開けておくような柔軟性に富んだものであり、彼らはアメリカとの関係を一元的に固定しようとはしなかった。しかしあえて悪く言えばしたたかで小賢しいところもあり、アメリカを利用したり自ら依存したりすることで利益と関係性の維持を得ようともした。それは琉球王朝が崩壊して以来の、彼らの戦略的な生き方でもあっただろう。
 ところがその戦略があるがゆえに、沖縄はまた逆にいつまでも利用されることにもなった。いまでは沖縄人による教会は自治を確立し、アメリカ人教会が理不尽な要求を強制してくることもなくなった。「占領統治」という感覚は戦後60年を過ぎて遠く薄れ、ミリタリー・チャーチはその役割を終えた。しかし依存を軸とした関係は、いまでもまだ精神的に受け継がれていると、ランドール牧師は指摘する。現在の直接の相手はアメリカではなく、復帰後に乗りこんできた日本だ。
 「権力者が変わったら変わったで、やはり沖縄の人はなかなか反論できないです。自立できない精神性は彼らのなかにもあるし、日本がそうさせないという現実もあります」
 教会の牧師という立場から離れて、彼は現在の沖縄について語った。復帰前後の沖縄を目撃し、自らが盾となって沖縄自立のために祖国アメリカに歯向かってきた彼は、73歳の一個人として基地に関する私論を述べてくれた。
 「たとえば日米合意によって、普天間飛行場が辺野古に移設されることが、正式に決まりました。そのために日本政府がしたことは、基地反対を唱える大田知事を追いこむことでした。彼が政府に協力しない態度を取ったから、政府は日本から円が流れる蛇口を止めた。そして次に稲嶺さんが知事になると、政府は逆にその蛇口を開けた。つまりアメリカも日本も、いちばん恐れているのは沖縄の自立なのです。もし本当に沖縄が自立したら、この基地はもう要らないよ、ということになります。政府はやはり、沖縄の自立を喜ばないし歓迎しないのです。依存でなければ、支配しにくいですから……」
 (この取材の直後に知事選があり、自公連立候補の仲井真弘多(なかいまひろかず)氏が、野党連立候補の糸数慶子氏を僅差で破り、当選した。両氏とも基地に反対は唱えているが、糸数氏が普天間基地の国外撤去を主張するなど強硬な姿勢を見せたのに対し、仲井真氏は稲嶺県政を継承する現実的な路線を取った。ランドール牧師に限らず、この取材のなかで様々な沖縄人に(そこには糸数氏の擁立者も含まれる)接していた著者は、はからずも仲井真氏の僅差での勝利を予感していた。なぜなら「基地がなくてどうするのか」という声を聞いた数が、反対を唱える人の数をわずかながら上回っていたからだ)
 いつまで沖縄は外部に振り回されなければならないのか……果たしてそれでもまだ、沖縄に基地がある必要はあるのか。そもそも、なぜ沖縄なのか。単に地政的な理由だけで、沖縄はアメリカと日本に目を着けられたのか。そのようなまったく基本的な質問を、ランドール牧師に向けてみた。すると彼はまず、目つきは鋭利なまま口元だけで笑いながら、端的に答えた。
 「バーゲンですよ、それだけ。単にバーゲン(お買い得品・取引きの意)だからです。都合がいいし、経済的でしょう。なぜなら日本政府は思いやり予算まで付けてくれるし、この島は昔からキーストーンです。大西洋なら北アイルランド、地中海ならマルタ、そして太平洋なら沖縄。実はアメリカは、第二次世界大戦が始まるまえから、奄美大島から台湾にかけて、どこかの島が欲しいと画策していました。いちばん望んでいたのは沖縄本島で、それを取るためにいつかは日本と戦争しなければならないと考えていた。そうしたら別の理由で戦争が起こり、そのときルーズベルト大統領は『戦況が好転したら沖縄を取る』と、はっきりと計画していたのです。だから日本の本土ではなく、沖縄に上陸した。戦争が自分たちの勝利であることを確信して、その後のことを考えてまず沖縄を占拠したのです」
 現在の兵器の性能や湾岸戦争以降のアメリカの戦略を考えれば、地政学的な理由で要所を求め、そこに巨大な基地を置くことにさほどの意味はないかもしれない。しかし60年まえにいちど乗っ取った場所をむざむざと手放す理由もまた、あるはずがない。既にいまここにあるのだから、したがってその基地を日本の本土へ移設する理由も、生じようがない。それはアメリカにとって、何のメリットもないことなのだ。
 「こんな大きな基地、いまではおそらく必要ないですよ」
 普天間飛行場のある方向へ目を移しながら、牧師は静かに言った。
 「テロ対策など、戦争の方法が変わってきています。大きな兵器はもうあまり役に立たないし、お金をそこへかける必要も薄れているはずです。その流れのなかで沖縄の基地がどうなるかは、正直に言って私もいまのところわかりません。でもここは『平和の教会』として知られていますから、私は自分の活動をしていきます。沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落したときも、ブッシュ大統領とヒラリー・クリントン上院議員に声明書を送りましたし、在沖米軍の司令官にも書留で抗議文を送りました。もちろん返事はありません。でも私はここ沖縄にお墓を買いましたから、それまでずっと自分のできることをするつもりです。基地はなくならないが反対はする。平和こそ正義だからです」
 会話のあと、ランドール牧師は教会堂に導いてくれた。献金などによって2006年の初夏に新設されたばかりのそこは、光の射しこむやわらかい空間だった。石と木材のみでつくられた簡潔な教壇を見ていると、それに気づいた牧師が声をかけてきた。
 「この石は、勝連で採れた琉球石灰岩です。本当に素晴らしい石が見つかって、私も嬉しいですね。過剰なものは、ここには必要ありません。200メートル先にある滑走路も含めてね」
 沖縄の人は扱いにくいですねえ、と言って彼は最後に笑った。思いがけない角度から足を引いてきたり、球が飛んできたりします。でもそれは真正面から衝突したくないという彼らの優しさでもあって、長い圧迫のなかで生まれた知恵でしょう。力関係で相手を潰そうとしないその素晴らしさを、失って欲しくは58_38.jpgありません……。
 車に戻り、エンジンをかけた。入り組んだ場所に教会があるために僕はカーナビを使っていたのだが、エンジンの始動と共にその画面には地図が映し出された。倍率を縮小して俯瞰図にしてみると、普天間バプテスト教会は広大な基地にへばり付いた、点のような存在だった。

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