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58号線の裏へ 駒沢敏器
第37回 彼らが貝になる時
 ランドール牧師は知り合いのお婆さんをトヨタの小さな車に乗せ、彼女の自宅まで送った。牧師職を解任されたのは1979年のことだったから、そのトヨタ車は右ハンドルであったはずだ。しかし左側の助手席を降りるとき、お婆さんは牧師に礼を述べたあとでこう言った。
 「さすがにアメリカー(アメリカ産)の車は大きいですねえ」
 これは果たして劣等感だろうか、とランドール氏はいまでも納得のゆく答えを見つけていないかのように、顔をやや歪めて語った。僕はそれに反応することができず、彼は少し間を置いて「これは劣等感とは違うと思います」と、伏し目がちに言った。それはわかっているのだが、では真意はどこにあるかということに、彼は言及しなかった。
 言葉のうわべだけ取れば、アメリカ人が乗っているのだから当然その車もアメリカ産だと彼女は思いこみ、それを賞賛しているように聞こえる。しかしお婆さんが口にした言葉を自分のなかで何度も反芻してみると、これは賞賛ではないのではないかという印象が、やがて勝ってくる。牧師の乗っていたトヨタは国産車のなかでもむしろ小さい方で、ひと目見て大きな代物ではありえないのだ。
 ここから先の記述はあくまでも僕の推測であり、牧師が口にしたものではない。しかしお婆さんが何気なく口にしたひと言から、それが必ずしも額面通りのものではないという想像は、ある程度まではひろがる。「そうか、こんな言い方をするのか」という感慨のようなものは、僕も同様に沖縄で何度となく体験しているからだ。その場で表面的には理解したつもりになっていても、数日間あるいは数ヵ月後になってからようやく、その言葉に複層の意味があることに気づかされることがあるのだ。
 お婆さんがトヨタ車をアメリカ車だと勘違いしたことに、おそらく間違いはないだろう。皮肉でもあてこすりでもなく、彼女は本当にそう思ったのだ。しかしこれが沖縄人の運転する車であったなら、果たしてそう言っていただろうか。言うはずがないという気持ちは、僕のなかではほぼ確信に近い。しかし彼女は日本語をほぼ完璧に操る旧知の牧師をまえにして、それまで心の内に蓄積してきたものを、感謝の弁に無意識に重ねてしまった。
 それはアメリカに対する賞賛ではない。賞賛ではないのだから、逆に劣等感からの言葉でもない。異物であるアメリカと自分たち沖縄とを完全に区別していることを、彼女ははからずも洩らしてしまったのだ。精神性もルールも大きく違うことを彼女は認識していて、だからこそ交流は上手にこなしているけれども、両者間に相互理解などはないということを、市井の老婆も身に沁みて感じているのだ。
 彼女が何気なく牧師に発した言葉は、コミュニケーションであると同時に、壁づくりでもあった。交流と断絶を同時におこなっている言葉だ。それを考えると、戦後の沖縄人牧師たちがアメリカに対して頭が上がらないようになり、不満を抱えつつもしだいに声を出さなくなっていった精神性の理由は、想像できなくもない。地元から声を上げれば上げるほどアメリカ側からの反発を招き、詭弁にも近い巧みな反論を強硬なまでに受けるのであれば、自尊心を守るために黙して甘んじるという選択も不思議ではないからだ。ましてランドール牧師の指摘にもあるように、その相手が自分たちを差別しているという自覚も持たず、あまつさえ「親切にしてやっている」などと思っているのだとしたら、貝のようになって一線を引くしかない場面もあるだろう。
 この貝の殻は厚く、部外者がその奥にあるものを理解することはたいへんに難しい。いっそ殻が閉じられていれば、それは拒否の姿勢であるとあからさまにわかるのだが、なかば開いていたりすることもあるために、急に閉じられた側は困惑することになる。アメリカはもちろんそして日本も、そこにいるだけで「北風」にもなるという事実は、認識しておいていいと僕は思う。
 しかし、ただそれだけではない。
 自尊心を最低限でも守るために口をつぐむしかない一方で、そこにはまた別の理由もあるようだった。
 「いくら相手が支配者でも、ちゃんと言えばわかると思いますよ。でも、そんな反論すらしないようになったのです」
 沖縄人牧師たちが声を上げなくなったことについて、ランドール牧師は話を続けた。
 「なかには、きちんと反論する牧師もいます。しかし言ったら言ったで、理事に選ばれなくなるのも事実ですが……」
 彼の言葉を聞いて、僕はしだいに混乱してきた。沖縄とアメリカ(ひいては日本)の関係を考えるとき、搾取する側とされる側の圧倒的な不平等をまず念頭に置いてしまいがちなのだが、そこを前提にして理解しようとすると、あちこちに矛盾が生じてくるのだ。アメリカ人なのに徹底した反米(正確には平和活動)を貫いてきたランドール牧師も、最初に糾弾した相手は米軍とアメリカ人教会そのものだったが、それでも声を上げようとしない沖縄人牧師が決して少なくないのを見て、同じような困惑を覚えたに違いない。
 「私が沖縄に来てずっとやってきたこと、それは反基地というよりも、やはり沖縄人の自立を喚起することでした」
 沖縄人が心に抱いているのは劣等感ではなく、他の何かであるということを暗に匂わせながら、ランドール牧師は僕との会話の方向性を少しだけ逸らした。そして沖縄人の自立を促そうとしたその行為は、彼が解任される最も大きな原因ともなっていた。
 「たとえば1973年、那覇の山下に教会を新しく建てることになりました。カルバリ教会というアメリカ人の教会に、沖縄人の教会を併置しようとしたのです。そこで私は、ボーリンジャー牧師に手紙を書いたのです。いつまでもそのようなことを続けていたら、平等な関係にならない、さらに依存関係をつくってしまうと……」
 カルバリ教会の信者はその99パーセントがアメリカ人であり、しかも大半が軍人の「ミリタリー・チャーチ」だった。沖縄に派遣されて以来、巧みに依存させることで上下関係を固定してきたアメリカ人教会のやり方を見てきた彼は、何とかそれを打破しようとした。しかし手紙に書いたひとつの文章が、ボーリンジャー牧師を激怒させることになった。
 「私は沖縄の現状や沖縄人のあり方を見て、彼にこう書きました。権力者にノーと言えない人間を教会が育てるべきではないと。占領意識と依存心を、両方とも断ち切らないといけない。しかしこれが、ボーリンジャー牧師と私との確執の始まりとなりました」
 ボーリンジャー牧師による政治工作によって、この6年後にランドール牧師は解任へといたるのだが、その際に沖縄バプテスト連盟の牧師たちはそれを承認する側にまわった。抗議声明を出した沖縄人牧師は5名だけだった。自立と平和を口にするランドール牧師に対して、沖縄人の牧師たちも内心では拍手喝采を送っていたのだが、いざ本当に自立しようとなるとそこでは急に態度が軟化して、最終的には意見が割れてしまうのだった。
 そのことを彼は僕に対していっさい口にしなかったが、彼から伝えられる事実をひとつずつ結んでゆくと、そこには浮かび上がるものがあった。
 自尊心を守るためにときとして硬く閉じられる貝の殻は、アメリカとうまく関係しながら依存してゆくための殻でもあったのだ。

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