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58号線の裏へ 駒沢敏器
第36回 悪意のない悪意
 1969年に沖縄に移り住んだランドール牧師がまず最初に手を着けたことは、地元の沖縄人牧師たちと協力態勢をつくり上げることだった。もとよりアメリカ人宣教師たちは、沖縄人による教会の精神的自立を表向きでは布教の旨としており、自分の行動はそれに背くことにはならないと彼は考えた。また沖縄人たちと行動を共にすることは、ランドール牧師がそれまで個人的に続けてきた反戦活動(非暴力による平和主義)をより具体的に発展させてゆくうえでも、大きな意義を持っていた。
 しかし米軍とアメリカ人牧師たちはこれを快く思わず、沖縄に来て数カ月もしないうちに、ランドール牧師の立場は孤立の色を深めていった。確かに軍にとっては、ガンディとキング牧師に薫陶を受けた宣教師が派遣されてくるなどという事態は、予測もしない人選ミスであっただろう。また、その多くが本国南部から派遣されてくる保守的な牧師たちにしてみれば、「キング牧師」の名は耳にもしたくないものだった。
 「たとえばアメリカの南部で生まれ育ったらどうなるか。目の覚めていない宣教師たちが、黒人に対してしていたのと同じことを、また沖縄でもしていると私は思いました」
 自分も南部ジョージア州の出身だから、その差別の根底にあるものは理解できる、と彼は正直に語った。そしてひとつの例として、こんな逸話を聞かせてくれた。
 彼が小学生だったとき、同い年の黒人の男の子が近所に住んでいた。名前は仮にジョーだとしよう。自分はバスに乗って、ペンキで塗られた学校へ行くのに、ジョーは板を貼っただけの校舎に歩いて通っていた。ランドール少年の通う白人の学校では、教科書が少しでも古くなると新しいものに替えてくれるのが当然だったが、その用済みの古い教科書は、ジョーの通う学校へ送られた。それは差別をより助長するためにあえて行われていたのではなく、むしろ白人の側には「黒人を助けてやっている」という意識があった。いくら古くとも、彼らは学校や教科書を与えてやっているのだと信じて疑っていなかった。
 「それが当たり前の環境に育つと、疑問を持たないようになるのです」
 差別を憎むというよりも、その差別に気づかない者を憐れむかのような口調で、彼は穏やかに言った。静かな部屋で天井が高いからか、それはどこかしら神の教えのようにも聞こえた。
 「白人の地主は、使用人の黒人を差別しているとは考えません。食わせていると考える。だから子供が病気になれば、地主はちゃんと病院にも連れていく。しかしそのとき、黒人に車がないということには、気づかないのです。結果的に私を解任へ追いこむことになった、ボーリンジャー牧師もそうでした。彼は私よりも頭がいいし、人としても牧師としても立派です。しかし差別意識がないぶん、自分のやることは善だと信じてしまうのです。彼は、ここだけは目覚めることはなかった。さいわいに私は目を覚ますことができたけれど、彼は最後までだめでした……」
 言うまでもなく、ほとんどのアメリカ人牧師がボーリンジャー氏と似た背景と精神構造を持っており、沖縄人牧師の自立を促すランドール牧師の言動を理解するのは、彼らには難しいことだった。自分たちは沖縄人に対して善行を施しているはずなのに、それを逐一問題として取り上げ、「アメリカの都合を押しつけてはならない、それでは逆に自立の妨げになる」と糾弾するランドール牧師の姿勢は、布教活動の現場を乱しているようにしか映らなかった。
 また一方では沖縄人の側にも、アメリカに対して頭が上がらなくなった理由がいくつかあった。それは沖縄人の優しさゆえでもあり、あるいは自ら内に抱える問題のせいであるとも、彼は指摘した。事は宗教の現場で起きていることだが、それは沖縄人が全体的にアメリカ(ひいては日本)に対して抱えている複雑な事情を、そのまま象徴しているように思えた。
 たとえば牧師になろうとする戦後の沖縄人の多くは、神学校へ通う学費をアメリカの奨学金に頼っていた。それを理由に彼らは「アメリカに恩を返さなければならない」と考え、結果として上にものを言えない精神的土壌が生まれてしまった。また、沖縄人は軍そのものと人間個人を分けて考え、人とつきあう際には温かくもてなしていたため、アメリカ人牧師たちからは御しやすい人種であると受け取られた。
 「沖縄の人は意識が高くて優しいものだから、組織の中で逆に利用されてしまったのです。人の良さにつけこんで、アメリカ人牧師たちは地元を押さえようと考えた。その流れを見ていた私は、ひとりのバプテストとしてどうしても納得がいかなかった。たとえばこんな出来事もあったのです」
 それは復帰直後の72年、金武きんで起きた事件だった。キャンプ・ハンセンに籍を置く若い軍人が、地元の女の子を強姦したのだった。しかもその現場は金武教会の間近で、信徒だった彼女は恐ろしくて日曜学校に通うこともできなくなった。これを重く見た沖縄バプテスト連盟の理事会は抗議文を作成し、米軍の司令部に提出しようとした。ところがこの動きを、同じ連盟に所属しているはずのアメリカ人牧師たちが押さえにかかったのだ。
 「どのような理由で押さえてしまうか」
 穏やかで丁寧であったはずのランドール牧師の言葉遣いが、そのときだけは断定調になるのがわかった。そして彼の声は、礼拝堂に隣接する自室に鋭く響いた。
 「アメリカ人の牧師は言う。『基地にはアメリカ人の兄弟姉妹がたくさんいる。それを考慮しなければいけない』と。そう言ってやんわりと抗議文を止めてしまう。このようにして地元にプレッシャーをかけ、そこに沖縄の声はない!!」
 戦後まもなくから自然と出来上がってしまった上下関係のなかで、沖縄人の牧師たちはいつしか声を上げなくなっていた。そこを何とか協力して地元の声を奮い立たせようとした彼だったが、何となく煮え切らないでいる沖縄人たちの姿勢を見て、腑に落ちないと感じることも一方ではあった。連盟の理事会に参加してもあまり反論をせず、非常識なことにも黙っている彼らを見て、ランドール牧師もさすがに疑問を感じ始めた。
 「それは支配者であるアメリカに対する、彼らの劣等意識なのでしょうか……」と、僕は牧師に訊いてみた。日本人である僕としても、沖縄の人びとが心の内に抱えたまま出さずにいる感情のしこりのようなものを、何度となく感じることがあったからだ。
 「おそらくですが、それは劣等感とは違うものでしょう」と、牧師は推測の域を出ないまま、それでも半ば断定するように答えた。
 「人を論破しようとしない優しさといえばそうなのですが、どこかで一線を画しているところもあると思います。拒否しないで引く……そういえば私が解任58_36.jpgされたばかりのとき、こんなことがありましたよ」
 宣教師館から家族ごと身を追われ、そして自家用車まで没収されたとき、牧師は1台の車を安価で買った。それはトヨタの小さな車で、牧師は地元のお婆さんをその車に乗せる用事があった。

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