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58号線の裏へ 駒沢敏器
第25回 ポークなしでは生きられない
 作家の片岡義男は、著書『白いプラスティックのフォーク』(NHK出版)のなかで、アメリカの缶詰食品についてこんなことを書いている。
 「(日本の)スーパーに缶詰のスープが、何種類も、そして驚くほどに安い値段で、しかも品切れになどなることなく、いつでも大量に陳列され販売されている。たまに僕はその光景を見る。すごいことだねえ、と思わずにはいられない」
 日系ハワイ人2世の子息である片岡は、なかばアメリカ人として育っており、子供のときからアメリカ軍の野戦食Cレーションを、身近に目にしてきた。だから彼の目には、缶詰の食品は舶来品としてではなく、第二次世界大戦と直につながるものとして映ってしまう。それは戦地がどこであっても輸送することができ、調理場がなくとも食べられ、日常で目にすることはありえない、まさに戦争用の食糧なのだ。
 それが日本のごく普通のスーパーに並んでいる光景を見て、3世といってもいい片岡は「すごいことだねえ」と、呟いてしまう。缶詰を通して彼が見る日本は、アメリカに負けて60年以上が経った現在でも、ひとつの戦地なのだろう。片岡はこのエッセイを、次のように結んでいる。
 「スーパーの棚に積み上げられてならんでいる缶詰スープは、アメリカから絶えることなく輸入され、日本の一般市民に安価で販売されている。アメリカの缶詰スープが、いまの日本の一般庶民の生活を、支援している。いまの日本における一般市民の生活は、ひょっとしたら戦争なのだろうか、という思いが僕の頭の片隅を走り抜ける」
 僕はこの文章に触れたとき、だとしたら沖縄は戦地どころではなく、まさに未だもって激戦地ではないか、と思ったものだ。沖縄を訪れる人なら誰でも必ず歩くことになる国際通りでもいいし、営業しているのかどうかわからないような、まちやーぐゎ(町の小さな雑貨店)でもいい。沖縄にいるかぎり、アメリカの缶詰を目にしないことなど、絶対にありえないからだ。
 なかでも沖縄の食文化に完全に溶けこみ、もはや沖縄を代表する存在にさえなっているのが、ホーメル社の「SPAM」だ。日本への総輸出量の、実に9割以上が沖縄で消費されているこの缶詰は土産物屋でも売られ、珍しがって買ってゆく修学旅行生は後を絶たない。スーパーの特売チラシでもSPAMは最大の呼び物となっており、家庭の主婦はここぞとばかりに大量に買いこんで家に常備する。
 沖縄ではひと口に「ポーク」と呼ばれるSPAMは、その名のとおり豚の挽肉にスパイスと塩を混ぜ、ラードと練りこんで固めたものだ。1937年、次なる世界規模の戦争に備えて米軍当局がホーメル社に開発を依頼したことが由来で、加熱していない肉を缶詰とした製品は、これが初めてだった。
 正式な名称は「Spiced Ham」といい、あまりに素っ気ない名称のために、大戦後に一般消費者向けに発売した当初は人気が出ず、その後公募をして、先頭と末尾の2文字ずつを取った「SPAM」と変更された。第二次世界大戦時に米軍が大量のSPAMを英軍に供出し、来る日も来る日も塩気の強い豚肉を食べることになった兵士たちのあいだでは、「SPAM」という言葉が「うんざりするもの、繰り返されるもの」という意味で使われるようになり、そのまま「スパム・メール」の語源となったとも言われている。
 ご存知のない方のために、見てくれと使い方をここで紹介しよう。形は角に丸みのついた直方体で、色は赤みがかった肌色だ。手で崩せるほどにやわらかく、生でも食べられないことはないのだが、たいていの場合は数ミリ程度の薄さにスライスして、フライパンなどで過熱する。そのまま食べてもいいし、パンにはさめばちょっとしたサンドイッチになる。サイコロ状に刻んで、スープの具として使うこともできるだろう。
 このSPAMは終戦後の沖縄にも大量に輸送され、またたく間に民間にひろがった。かねてから沖縄に豚肉の食習があったことと、缶詰食品への憧れが重なったことが、普及を加速させた原因だとされている。戦果としてもSPAMは人気があったし、ヤミ市場に横流しされたものも、棚に置いた途端に高値で引き取られた。バラック同然のまちやーぐゎでもSPAMは目玉商品で、どれだけの缶詰を引いて来られるかで、店主の力量が問われるほどだった。焦土と化した戦後の沖縄では自宅で豚を飼育する余裕がなく、庶民は久しく口にしていない豚肉の味に飢えていた。
 最初はあくまでも、代用のはずだったのかもしれない。手に入らない新鮮な豚肉の代わりに、一家の主婦はSPAMを刻んでちゃんぷるーに混ぜたり、スティック状に切ったものに海苔を巻いて揚げ物にしたり、卵を混ぜ炒めておかずとしたりしていた。
 その独特の旨みと強いコクが癖となったのか、野菜や油と馴染みがいいことがご飯にぴったりだったのか、あるいは簡単で手軽なことが結局のところ安易に受けてしまったのか。生の豚肉が出回るようになってもSPAMの需要はまったく落ちることがなく、それどころか意外な方向まで侵食を続けていった。
 たとえば味噌汁の具だ。沖縄の味噌汁は具だくさんなことで知られているが、SPAMを炒めたものまで具となっているのを見て、僕は絶句したことがある。沖縄そばの麺を用いた焼きそばのなかにも入っているし、焼いた「ポーク」をふた切れと白米だけの安価な弁当もある。ここまで来るとSPAMは単に食品や嗜好品であることを超えて、沖縄の人たちのあいだでは「何でも混ぜないことには気が済まない」ほどの、生活必需品の域にまで達していると言えるかもしれない。
 建築資材としてのコンクリート・ブロックもそうだけれど、いくら物資が乏しいとはいえ、当のアメリカは「たかがSPAM」がこれだけ受け入れられ、その後様ざまに形を変えながら普及していくとは、思いもよらなかっただろう。そこには、お腹だけは満たしてあげたいと願う沖縄の母親たちの逞しさと、「アメリカのものであれ何であれ、とにかくあるものを使う」という、屈託のない軽やかさがある。
 子供のときから「母の味」としてSPAMを口にして、現在はそれを「沖縄を代表するもの」として販売している人物の手記が、ここにある。沖縄の人がSPAMをどのように受け止め、そしてどんな想いを抱いているのか、その気持ちがよく伝わる文章なので、本人の許可を得てそのまま引用することにしよう。

 「東京で生活していた頃の話ですが、銀座のデパートの輸入食品売り場でスパムとチューリップのポークランチョンミート缶詰(引用者注・SPAMと同様の食品でデンマーク産)を見かけたときは驚きました。様々な国のチーズとか、果物のシロップ漬けやキャビアなど、おしゃれなイメージの外国産商品の中で、あまりにも見慣れた“顔”があったからです。それはまるでドレスやタキシードが58_25.jpg舞う華やかなダンスパーティの会場で“かあちゃん”に出くわしたような感じなのです。しかも、ちゃんと棚に並んで他の舶来の商品と見劣りすることなく毅然と居座っているではないですか。しばらく眺めては、ウーンと唸っていました」(沖縄ネットショップ「おきなわいち」代表取締役社長・上地哲氏の、HP上の日記より)

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