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58号線の裏へ 駒沢敏器
第20回 わたし、あなた、キスキスヂョートー
 「基地のゲートにはアメリカ人と沖縄人のチェッカーがいてね、ガムを噛みながらいつも大威張りだったよ」
 戦果の物資がヤミ市場に流れていることを沖縄の警察は黙認していたが、軍事基地としての体裁が整った米軍はゲートでの検査態勢を強化させ、特に作業服を着るメカニック(作業員)へのチェックは厳しかった。しかし事務職(クラーク)だった平山さんは逆に、ほとんどボディチェックを受けることがなかった。
 それを幸いとばかりに、彼は用事と偽ってはオフィスから席をはずし、収納棚や倉庫から金目のものを盗んできた。いや、盗むというよりも、単に持ち出す、という感覚に近かっただろう。それを彼は、空になった弁当箱に入れて隠した。
 最初はほぼ素通りで基地の外へ出られたのだが、平山さんが運び屋であるとの風評が立つようになり、それからは彼もゲートで厳しいチェックを受けるようになった。そしてある日ついに彼はゲートで止められ、鞄のなかを調べられた。そこには弁当箱があった。
 「いくらチェッカーとはいえ、雇用員の所有物に勝手に触れるわけにはいかないんだ」
 だからどうしたと思う、という質問はせずに、平山さんはやや間を置いた。語り始めた自分の過去が何であったのか、僕にそれを聞かせながら同時に確認しなおしているようにも見えた。
 「それを振ってみろ、と言うわけさ。1回目のチェックのときは何とか難を逃れたんだが、2回目のときに音がしてしまった。それで、蓋を取って開けてみろと言われる。あとで始末書を書かされてね、4枚目の始末書を最後にディスチャージ(解雇)されてしまった」
 基地内には、10カ月のあいだ働いていた平山さんを気の毒に思うアメリカ人もいた。あるシビリアン(文民)の奥さんは彼を自宅に招き、「ガーレンボーイ」(庭師)として働かせてくれた。さらに彼女の紹介でアメリカン・リージョン・クラブ(将校クラスのクラブ)に職を得て、彼はバーのボーイとしても働いた。
 「クラブでの戦果は凄いものだったよ。アメリカ人というのはウイスキーの飲み残しを何とも思っていなくてね、こっちが頼むと気軽にくれるんだ。それを持ってゲートの外に出ると、ウイスキーのヤミ業者が車をつけて待っている。その場ですぐに値段交渉さ。ハーニーさんのラブレターの代筆もやったよ。アメリカ人の相手をする彼女たちは、沖縄の社会では白い目で見られていたけれど、ぼくからすると素敵な女性ばかりだったな……」
 ハーニーさんというのは、米兵たちのガールフレンドだ。タイピストやPX(基地内の商店)の売り子さんが、基地でアメリカ人と知り合って恋に落ちることもあったし、あるいは民間のバーなどで働くホステスが、客として来たアメリカ人と深い関係になることもあった。その身分の幅や職種は多岐にわたっているのだが、「ハーニー」にはひとつの明快な定義があった。「特定の人としかつきあわない」という、彼女たちの信念だ。不特定の相手に体を売る女性は「パンパン」と呼ばれ、ハーニーよりもさらに激しく沖縄社会で差別された。
 晴れて結婚をしてアメリカへ行った女性たちは、沖縄では「アメリカハーニー」と呼ばれ、沖縄の文化を国際化させる担い手として、逆に高い評価を受けた。しかしハーニーの大半は、束の間の恋人として基地のある島に置いていかれた。アメリカとの縁をできるだけ切りたくないと考えた彼女たちは、英語のできる人を掴まえては、本国へ帰った恋人へのラブレターの代筆を頼んだ。その内容はお金の無心がほとんどだった。
 「台風で墓が壊れたことを理由にするのが多かったな」と平山さんは言った。
 「あなたを今でも愛している、というような文面から始まって、困っているから300ドル送ってちょうだい、という結びになる。これがまた軍人というのは律儀な人が多くて、手紙を無視しないですぐに現金が送られてきたものだよ。それに添えてある手紙の内容を教えてあげるのも、ぼくの役目だった。気丈で明るくて現実的な女性ばかりだったけれど、いまはどこで何をしているのかなあ……」
 解雇された経理の仕事からガーレンボーイを経てバーのボーイまで、そのときは現役でアメリカグチを口にしていた平山さんだが、いまではそれを不思議なくらいにひとつも思い出せない。しかし文字として残された例として、彼はある短編を教えてくれた。『沖縄公論』の63年3月号に掲載された作品で著者は曽根竹夫、題名は「光子とマッコリィ夫妻」という。ミスタ・マッコリィは軍のエンジニアで、光子は彼と奥さんの住む外人住宅で働くメイドだ。
 当時のアメリカグチが淡々と描かれているこの作品を、平山さんは自分のコラムに取り上げている。原本が入手困難なので、そこからの孫引きになるが、ご紹介してみよう。まずは光子の仕事仲間である静子が、マクドナルド家を去る際のシーンだ。

 「バイバイ、奥さん、キャプテン。パーリー、ヂエン。シーユートマロー、シクスオクロクね」
 静子は威勢よく挨拶した。
 「グッドゥ・バイ、スウジー。ハブ、ア、ナイス、タイム、アトゥ、ホウム」
 マクドナルド夫人は愛想よく答えた。

 静子の言う「キャプテン」は一家の主人で、「パーリー、ヂエン」は「楽しい時間も終わりですね」という意味だ。それに続く夫人の言葉はまったくの英語のはずだが、著者が耳にしたままの英語をカタカナに置き換えた、一種のアメリカグチでもある。ここで興味深いのは、これがひと言の説明も注釈もなくそのまま小説の1シーンとして用いられていることだ。いたるところでこのような光景があったからこそ、著者は躊躇いもなく(あるいはあえて当時の沖縄を書き記す手段として)、英語による交流ぶりを翻訳することなしに描いたのだろう。
 つぎの例では沖縄人がアメリカグチを使うのではなく、アメリカ人が逆にうちなぁーぐちを使うシーンが描かれている。彼もまた従来の日本語は解さないまま、沖縄の言葉を沖縄の言葉としてそのまま身につけている。ミスタ・マッコリィの夫人は外出中であり、彼は光子に関係を迫る。

 「メイ・アイ・カム・イン?」
 ミスタ・マッコリィの嗄れ声がしたかと思うと、ドアが押し開けられた。光子は無言のまま突っ立っていた。
 「ミッチー、あなたチュラカーギーよ」
 そう言われると光子は例のごとく無意味なくすくす笑いで警戒心をまぎらわす外なかった。よどんだ灰色の眼が光子を見すえた。
 「ノー冗談ね。わたし、あなた、キスキスヂョートーね」
 ミスタ・マッコリィは、そっと光子を抱き上げた。(中略)
 事がすむとミスタ・マッコリィは失神状態になっている光子の耳に唇をつけて「あなたナイスヂョルね。ノーはなし、おくさんプリーズよ」
(平山良明「コトバに見る沖縄の戦後」『写真集沖縄戦後史』那覇出版社刊に所収)

 チュラカーギー(美人)の光子に惹かれるミスタ・マッコリィは、遊びではなく真剣にキスを迫っており、「きみは素晴らしい女性だ、どうか断らずに妻になってくれ」と囁いている。少なくともこのシーンに、上下関係の差はない。描かれているのは男女というまったくフェアな関係だ。と同時に、ここには沖縄に対する差別もなければ、アメリカに対する卑屈さもない。互いが互いの言葉を身につけて、相手に自分を合わせていこうとしているのがわかる。
 メイドと主人ということであれば、僕自身もこんなアメリカグチを教えてもらったことがある。帰宅した主人の衣服が汗で臭うので、それを早く着替えさせようとメイドは急かす。
 「パパさん、ユー・クロース、ノーノーね。早くゲラーウト・ゲラーウトよ」
 自宅に戻ったばかりの主人に向かって、メイドが「出ていけ」と言うのも面白いが、58_20.jpgそれを「服を脱いで」のことだと理解している主人は、怒りもせずむしろ謝るように着替えを急いだという。
 このようなやりとりに僕はアメリカグチの最もユニークで美しい本質を見るのだが、それについては平山さんの解釈を交えたうえで、次回で説明していきたい。

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