Web草思
58号線の裏へ 駒沢敏器
第17回 米軍キャンプのピーウィー
 いまではもう、あまり見られなくなってしまったが、嘉手納かでな基地の周辺を車で走ったり、コザの町を歩いたりすると、不思議な看板に出会ったものだ。たとえば手書きの片仮名で、店頭に大きく表記された「バディシャープ」の文字。これはBODYSHOP、つまり自動車の修理店のことだ。
 英語を解する人であれば、この片仮名から修理店を想像することは容易だろう。しかし一般的には、バディといわれたらまず体のことを頭に浮かべてしまうだろうし、そもそも片仮名で表記する必要じたいがない。なのにそのような表記が、つい最近まで沖縄にはあった。沖縄の人が車体をBODYだとは知らないまま、アメリカ人の発音する「バディシャープ」という音そのものを、「自動車修理店」として直に受け取っていたということだ。
 第二次大戦の終戦直後、生で英語に接した沖縄の人にとっては、冷やした水はいまでも「アイスワー」だし、質屋は「パーンシャープ」(PAWNSHOP)だ。いまでは老齢となったこのような人から昔話を聞くと、似たような話はたくさん出てくる。たとえばある人は、米兵が「ガッデム!」(Goddam:ちくしょう!)と言うのを聞いて「何かを承知(合点)しているのかと思った」というし、またある農民は「ハロー?」と語尾を上げて呼びかけられて「1000ちびやいび?ん」と返したという。「ハロー」が「原(はる=畑)」に聞こえてしまい、「1000坪です」と答えてしまったのだ。
 いまでもコザの町には「ランドロマット」と表記している洗濯屋がある。本土ならば「ランドリー」で済むところが、沖縄では正確な発音にあくまでも忠実に、英語としてではなく「沖縄語化したもの」として残っている。「ガーデン」ではなく「ガーレン」、「ガレージ」ではなく「グラージ」。これは耳で聞いた英語を、沖縄の人がそのまま血肉化して固定した、固有の文化であり言葉だ。そしてその言葉は、目のまえにある英語よりもはるかに日本語から遠い。これが日本であれば「グラージ」ではありえず、「ガレージ」という表記の日本語(外来語)に変化してしまうのだから。

 敗戦によって日本軍と日本の文化が沖縄から完全に立ち去ったことで、沖縄の人たちはアメリカ人たちに「日本抜き」で対面することになった。そこでは言葉が直に混ざり合い、ときに珍妙としか思えない新しい言葉が生まれ、「アメリカグチ」と呼ばれるようになった。同じ意で「ブロークン」という言い方もあるのだが、僕には断然アメリカグチのほうが面白い。ブロークンでは単に英語が不充分なだけであるのに対して、アメリカグチの主権はあくまでも沖縄の側にあるからだ。
 琉球民謡の大御所として知られる登川誠仁は、基地内の住宅でハウスボーイとして働いていた体験を、親友の故・照屋林助にこのように語っている。

登川:私がナイリーフォリーエイに、ハウスボーイになって。
照屋:1948年にね。
登川:ユーアンダスタン? トーク、トーク?
照屋:君はね、とにかく背が小さいでしょう。そのことが幸いして、ショーリー、ショーリー(小人)と。
登川:ショーリーから、後はピーウィーとか。
(CD「HOWLING WOLF/登川誠仁」に収録)

 これは、登川の背が小さいから「ショーリー」とか「ピーウィー」などと呼ばれて外人に可愛がられていた、という話なのだが、二人はこの会話のあと、あまりにも珍妙な歌を歌いだす。登川が外人住宅のテレビから耳にしていたポパイやオリーブの声色を真似ながら、黒人兵に教えられたという曲をそのまま耳の記憶だけで再現する。歌詞は、本人たちでさえまったく意味不明だ。
 曲の題名は「ペストパーキンママ」。
 ますますわからない。これだけで原曲を特定できる人は、古いカントリー音楽のファンだろう。本来の題名は「ピストル・パッキン、ママ」といい、ホンキートンク・スタイルのカントリー歌手アル・デクスターが、1943年にヒットさせた曲だ。「どうかそのピストルを収めてくれよ、せっかくいい思いで飲んでいたのに」という内容なのだが、登川と照屋はそのようなことは何ら解さないまま、三線を手に自分たちの曲にしてしまっている。
 僕にはこのアメリカグチが、面白くてたまらない。英語(あるいは軍隊が一方的に持ちこんだ文化)を受け入れながら同時にぶっ壊し、自分たちの使い勝手のいいように変えてしまう力強さは、あまりにも明るく柔軟だ。相手に対して鋭敏で優しくある一方で、それを受け止める自分の側にも文化の受け皿や精神の度量がないと、こうはならないだろう。あるいは高度に女性的であると言ってもいい。受容していながらも、いつしか自分の側に主導権を引き寄せて、居心地のいいものを新しく別につくりだしている。
 覚えている人も少なくなったと言われるアメリカグチを、ひとつでも多く聞くために、僕は何人かの人物に協力を仰ぐことになった。琉球料理の研究家として名高い山本彩香さんは、単語ではなく「アメリカグチ会話」のいくつかを、記憶のなかからありありと引き出してくれた。
 「たとえばね、ネグロタイム・ナンバーワンチキン・コテコッコ、マイハウス・カムカムってわかります?」
 「朝早く私のおうちに来て、ということですか?」
 「そう。ネグロは黒人、まだ暗闇の一番鳥の鳴く時間っていう意味ね」
 一番鳥を直訳しているのと、通じるはずもないのに「コテコッコ」という言葉を加えてしまう少々の自信のなさが、実に泣かせる。
 「エブリデイ、トマリハイブリッジ・アイ・ゴーバック・アイゴーバックはわかる?」
 「毎日行ったり来たり、というのはわかりますが……。何ですか、トマリハイブリッジというのは?」
 「泊港の片隅に泊高橋という場所があるんですよ」
 地名までも英語にしてしまう、この女心はどうだろう。アメリカ人男性を相手に、少しでも英語で恋心を伝えようとする気持ちは、どこか必死ですらある。
 他にも彼女は「ユーゴー、ミーゴー。ナゴ、ノーゴー」などという、語呂合わせのようなものも教えてくれた。「あなたも行きましょう、私も行きますから。いや、名護へは行けないんだ」という意味だ。最も笑ってしまったのが、つぎの一例。
 「タイフーン・カム、マイハウス・オンブリヤーゴ。トゥバイホー、サンポ、サンポ。マイハウス、ノーモー」
 これは何となくわかるのではないか。台風が来て私の家はぐらぐらに揺れた。2×4の家は四方ばらばらに散らばり、もはや何もなくなった、という意味だ。「オンブリヤーゴ」の語源がどうしてもわからないのだが、沖縄の高齢者のあいだでは、いまでもこの言葉は「ぐらぐらに酔っ払った」という語義として、普通に通用するそうだ。58_17.jpg何とも可愛らしいのは「サンポ、サンポ」。散らばるという英語がどうしてもわからずに、咄嗟に日本語を混ぜてしまっている。
 かようにアメリカグチというのは、沖縄人の愛嬌と明るい柔軟性に満ちた、実に含蓄の深い文化だ。そしてここで例に挙げた会話から推察できるように、その根底には「お金のある外人に物を要求する」という、恋心とは裏腹、あるいは表裏一体の逞しさも隠し備えられている。恋を利用したかけ引きでもあるアメリカグチ。終戦直後から日本復帰までの時代ごとに、不思議な言葉はそれぞれの世相を映し出している。

草思社