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58号線の裏へ 駒沢敏器
第11回 嘉手納軍人のソウルフード
 数カ月ぶりに、CoCo壱番屋の北谷ちゃたん国体道路店を訪れた。相変わらず、昼時は軍人だらけだ。目を凝らすと将校クラスの上官らしき人物が2名、窓を背に店を見渡せる席にすわっている。それを知らずに店に入ってきた若い白人兵たちは、大きな声を出すのを急にやめ、身の置き所のない様子で離れた席にすわる。カレーショップではなく、基地内のメスホール(簡易食堂)の光景が、そのまま展開されているかのようだ。
 誰もがみな、既に食べるものを決めてきたかのように、迅速に注文する。なかにはメニューすら見ない者もいる。そして言葉を区切ることなく、ひとつながりの英語で注文を口にする。耳が慣れていないと、何かの呪文のようにも聞こえるだろう。
 食べ方は、まさにアメリカ人そのものだ。まずはカレーソースをスプーンですくい、トッピングの載ったライスに、いかにも不器用な手つきでまわしかけてゆく。そして全体を丹念に混ぜあわせ、そこでようやく最初のひと匙を口に運ぶ。ほとんどの者がチーズをトッピングに加えているのも、何だかアメリカ的だ。
 僕は以前アメリカの大学生が住むアパートで、日本式のカレーライスをふるまったことがある。普通の白いご飯にルーでつくったカレーをかけ、具材としてフランクフルトを載せた。彼の冷蔵庫のなかに、他にカレー向きの食材がなかったからだ。
 彼はそれを口にするなり、いかにも不味そうな顔をした。食べなれたフランクフルトに得体の知れないソースがかかり、ライスまで添えられているからだろう。それでも彼は僕に遠慮しているのか、4分の1までは黙って食べた。しかし「もはや我慢も限界」という、すがるような目を向けるようになり、ついには冷蔵庫に行ってマスタードを取り出した。そして大きな手で容器を絞り、カレーソースの海に浮かぶフランクフルトの上へ、これでもかとマスタードを投入した。よくそんなもの食えるな、と僕は驚きを隠さず、彼はそれを意に介することもなく「イッツ・ベター」と安心した顔で言い返した。
 いまCoCoにいる軍人たちも、このときの彼と同じような感覚でカレーを食べているのかもしれない。僕らの慣れ親しんだカレーではなく、ホットなソースと肉・チーズの組み合わせ、という捉え方だ。であればトッピングを組み合わせるのは、彼らにとってはピザやメキシコ料理の感覚に近いはずだ。辛さが10段階に分かれているのも、人気の理由として挙げられるだろう。彼らの注文の仕方を1時間以上にわたって観察しながら、推測ではあるが謎は少しずつ解けてきた気がした。
 午後2時が過ぎ、店に軍人の姿はほとんどなくなった。僕はマネージャーを務める新崎能充あらさきよしみつさんに話を聞いた。北谷国体道路店の特異性については、彼にとっても大きな関心事となっているようだった。
 「なぜここまでの人数が来るのか、はっきり申し上げて私にも掴み切れていないんです」と、彼は言った。
 「しかも、出る具が偏っているんですよ。売り上げの1位はダントツでチキンカツ、実に7割を占めています。お客さんの7割が、これを注文するんです。うちの社で繁盛店と言われているところでも、普通は月に700食から1200食くらいの間です。なのにこの店では、月に1万食以上出ていくんです」
 「フライドチキンの変型とでも思っているのでしょうか」と、僕は訊いた。しかしメニューには別個にフライドチキンのカレーがあり、こちらは人気がないとのことだった。ちなみに第2位はパリパリチキン。カツの衣はなく、皮つきのチキンをクリスピーに揚げたものだ。
 この店の特異性は客層や偏った注文ぶりだけではなく、客の取る行動にも現れていた。店の備品が次つぎとなくなるというのだ。
 「なかには熱狂的なファンもいて、外に出してあるのぼりが月に4?5枚はなくなります。アンケート用にボールペンを各席に置いてあるのですが、これもあっという間ですね」
 「沖縄にいた記念に持ち帰るんでしょうか」
 「ええ、そうでしょう。しかしなぜそれがうちの店なのか……。テーブルから店員を呼ぶベルをベルスターというのですが、こんなものまで、なくなることもあるんですよ」
 言うまでもなく、コザには外人向けの店がたくさんある。バーやライヴハウスはもちろんのこと、ディスコやアイリッシュ・パブにいたるまで、週末の夜はどの店も若い軍人たちで溢れかえる。フェンスのなかで生活するしかない閉塞感を、ときに彼らは暴力的に発散することもある。
 しかし将校や士官クラスが社交街のクラブに行くのを除いては、基地の外人が沖縄色の濃い店に足を踏み入れることはほとんどない。食堂でも沖縄そば屋でも、彼らの姿は見当たらない。地元の居酒屋にも現れることはない。言葉やドル紙幣が通じないことに躊躇しているのか、それとも単に関心がないのか。あるいはトラブルを避けるために、上官から暗に出入りを禁じられているのか。彼らが好んで集まる店にこちらから足を運ぶのでなければ、お互いの交流がないのが現状だ。
 しかしCoCoならば入りやすく、店名の入ったボールペンや幟はそのとき、彼らの目には充分にエキゾチックに映るのだろう。アメリカの田舎に帰り、部屋にカレー屋の幟を飾りながら、思い出に浸っている様子が目に浮かぶようだ。
 北谷国体道路店は、オープンして12年目になる。以前は同じ通り沿いにあり、3年まえにいまの場所に移転してきた。当初は嘉手納基地の軍人を客として期待してはおらず、比率も沖縄の人が7割、アメリカ人は残り3割にしかすぎなかった。
 その様相が変わり始めたのは、7年ほどまえのことだ。少しでも売り上げの増加にならないかと思い、新崎さんは試しに英字のチラシをつくった。そして店に来る常連に声をかけ、基地内のアパートで配ってもらうように頼んでみた。
 すると彼らは俄然やる気を見せ、「おれに任せておけ」「他ならないCoCoのためだ、何でもやる」と、口々に同意した。各人が持ち帰ったチラシの数はそれぞれが100枚ほど、頼まれたら断ることのできないアメリカの奉仕精神が、意外なところで発揮されることになった。
 カレーの味が彼らに合ったのか、それともやる気満々の奉仕の輪に火が点いたのか、これがきっかけとなって軍人が続々とやって来た。58_11.jpgできるだけ気軽に来られるように、店側はドルが使えるように工面し、法律上お釣りは円で返すことにした。
 「円オンリーという表示に対して、この界隈ではいまでも微妙な差別意識があるんです」と、新崎さんは教えてくれた。
 「沖縄の人に自分たちは嫌われている、排斥されている、と逆に彼らは感じるのです。しかしドル紙幣が使えるというだけで、安心して基地の外へ食事をしに出ていくことができる。チェーン店ではあるのですが、ここが彼らにとっては沖縄との接点なのかもしれません」

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