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58号線の裏へ 駒沢敏器
第10回 CoCo壱番屋の謎
 沖縄には、米軍基地なくしては生まれ得なかった料理や店が数多くある。この連載の初回で取り上げた「ジミー」のパイは、基地内のメスホール(簡易食堂)からもたらされたものだし、いまでは全国的に有名になっているタコライスは、キャンプ・ハンセンのある街・金武きんの「パーラー千里」から生まれた。
 タコスの具をライスに乗せただけの、この奇怪な食べ物は「タコスだけでは腹を満たせない若い軍人に、安いお金でたくさん食べてもらいたかった」という、店主の思いつきによるものだ。沖縄人はともかく、当のアメリカ兵が本当にこんな不思議なライスを食べるのだろうか、と僕は少々疑問に感じていたのだけれど、確かに昼どきに基地の付近へ行くと、列をなして買っている姿を見ることができる。本国では絶対にお目にかかれない食べ物だから、彼らはこれを沖縄の伝統料理だと思っているかもしれない。
 戦場で素早く食べることのできる「レーション」も、沖縄の日常食に多大な影響をもたらした。レーションは多くの場合、ワックス・ペーパーの箱に入っており、中を開けるとビスケットやスープなど、戦場における一回分の食事が詰まっている。ほとんどが、温めればいいだけの缶詰類だ。なかでもこのセットの主役だった「ポーク・ランチョン・ミート」と「キャンベルの缶スープ」は、レーションを離れて沖縄で圧倒的な浸透ぶりを見せた。
 特に前者はちゃんぷるーの具材である三枚肉の代用品として重宝がられ、まちやーぐゎなどの小さな商店ですら、日常食として棚には欠かすことのできない品だった。就職や就学で本土へ出ていった子供たちへの仕送りの箱には、「おふくろの味」として必ずポークの缶詰が入っており、厚めに切って卵と一緒に焼いただけの「ポーク卵」は、いまでも沖縄の食堂では定番のメニューとなっている。
 基地の周辺にあるレストランにも、沖縄特有の事情が反映されている。たとえば嘉手納基地の近くにある「ジンギスカン」では、テーブルにつくなり「ライスにしますか、パンにしますか」と、唐突に尋ねられる。メニューはなく、知らずに行くと質問の意味がよくわからない。
 ところが奥の部屋を見るとバーベキュー用のピットが設えてあり、店員が3?4名、大きなフライ返しを手に鉄板のまえで客を待ち構えている。そこへ行って肉や野菜を自由に選び、あとは彼らに焼いてもらう方式なのだ。
58_10a.jpg カウンターには何種類もの具材が並び、思い思いの内容をトングで盛っていく。このときの、食材を入れる容器がすごい。ラーメンのどんぶり鉢なのだ。しかもその鉢の底には沖縄本島の絵が描かれ、どんぶりの内側には店の名前が片仮名とアルファベット、そして「成吉思汗」の三種類で表記されている。おまけに日米蒙三カ国の国旗まで、誇らしくプリントされている。モンゴル式のバーベキューを、この沖縄の地で日米の架け橋として楽しんでください、という趣向なのだろう。混合とか友好とかいうレベルを超えて、僕の目にはもはや混迷としか映らないのだが、客の8割を占めるアメリカ人はそれを楽しんでいるようだ。店内には帰国した客からの手紙や写真がところ狭しと貼られ、人気の高さをうかがい知ることができる。
 この他にも沖縄には、ほぼ黒人しか集まらないチキン料理の店や白人だらけのピザの店なども数多くあり、そのような店の大半は嘉手納基地の門前町ともいえるコザ(沖縄市)に集中している。ペイデイ(給料日)ともなればコザの中心街は基地の軍人であふれ返り、彼らに金を無心するホームレスのなかには、英語を解する者さえいる。72年の復帰と、その後のベトナム戦争終結から約30年、沖縄とアメリカの文化が入り乱れた往年のコザも、いまではその名残すらほとんど留めていないと言われるが、ここが沖縄のなかでも最も「混血度」の高い場所であった空気は、現在も通奏低音のように流れているのがわかる。
 しかしその空気のなかに、日本から出店したフランチャイズ式のカレーショップが突如加わることになろうとは、当の店側もよもや思っていなかったのではないか。本土でも知名度の高い、「CoCo壱番屋」の北谷ちゃたん国体道路店。昼時や週末ともなるとこの店は、迷彩服を着た軍人たちであふれ返る。
「異変」に初めて気がついたのは、年に何度か沖縄に通うようになってから、3年目くらいのことだ。58号線を上下に移動することの多い僕は、コザに立ち寄るときは高速道の沖縄南ICを降りるのではなく、58号線を途中で右に折れて嘉手納基地のフェンス沿いに道を走る。これが、コザの中心部まで約10分の北谷国体道路だ。
 この道の途上に、CoCoがあるのは知っていた。イエローに茶色の看板は、既に見慣れている。本土では何度も入ったことがあるし、好きなメニューや辛さの度合いも自分なりに決まっている。沖縄にも数店舗が進出し、那覇の中心地にいても目にする。だからこそ逆に、沖縄にまで来てあえてこの店を選んで入ろうとは、まったく思わなかった。「こんなところにもあるんだな」と、一瞥して通り過ぎるだけだった。
 しかしあるとき、迷彩色の大型軍用車が駐車場に何台も並んでいるのを見て「おや?」と思った。いくら基地の真横とはいえ、アメリカ人がカレーライスなど口にするのだろうか。
 言うまでもなくカレーライスは日本の料理で、アメリカには存在しない。もとより、彼らにはご飯にものをかけて食べるという習慣がない。インド人の経営するインド料理の店ならアメリカにも数多くあるが、味が繊細なうえに異国情緒が強すぎるので、これを好んで食するのは比較的恵まれた階層の人たちに偏っている。まして日本のカレーの場合は、それ一食だけで事足りる「オール・イン・ワン」で、サラダや主食などをそれぞれ個別に食べるアメリカ人には馴染みがない。
 どういうことになっているのかと気になって、僕は来た道をそのまま引き返してみた。軍用車の並ぶ駐車場がやがて見え、そこに自分の車を止める。外へ出て店へいたるアプローチを進み、ドアを開けて店内に入る。するとそこには、思いもよらぬ光景が展開していた。
 店はほぼ満員、全員が軍人といっていい。オリーブグリーンや迷彩色の軍服に身を包んだ、体躯の大きい軍人たちがほぼすべてのテーブルを占拠し、そのなかにごく数人の地元の沖縄人が、カウンターにすわっておとなしくカレーを食べている。僕もそのカウンター席にすわり、後ろを振り向いて店の観察を続けた。
 店員はもちろん全員が沖縄の人であり、上手くはないが慣れた英語で注文を取っていた。客は引きも切らずに入ってくる。レジでは、テイクアウトを受け取る列もでき始めた。仲間から頼まれたのだろうか、イエローの手さげ袋に入れられた注文品を、何人分も山高く抱えてドアを出てゆく者もいる。
 店内のデザインも彩色も、本土で慣れ親しんだものとまったく同じだ。この店だけが特別という様子は、何ひとつない。そこにアメリカの軍人しかいない光景というのは、少なくとも僕にとっては衝撃的でエキゾチックだった。58_10b.jpgその人数のあまりの多さに、「アメリカ人がカレーを食べるのだろうか」という当初の素朴な疑問は、あっさりと消え去った。それよりもなぜ、このような光景が実現しているのか?
 CoCo壱番屋・北谷国体道路店の謎。僕は、それを解明してみたくなった。

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