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58号線の裏へ 駒沢敏器
第6回 自由と祈りの原風景
 アメリカがもたらしたCBを自在に使いこなす素地が、沖縄にはもともとあった。北部のやんばる地方を除いては森林に恵まれず、島そのものが珊瑚礁の隆起した石灰岩を地盤としているからだ。これは「琉球石灰岩」と呼ばれ、軟質な素材であるために比較的誰にでも扱いやすかった。その最も一般的な例が石垣だろう。いまでは大半をCBにゆずってしまっているが、沖縄の民家の塀は住人が自分の手で石を積んだものだった。58_6a.jpg割り出したままの石灰岩から形を選んでは重ねてゆき、ゴツゴツとした無骨な塀が集落にめぐらされた。ほとんど隙間なく積むことのできる名人もいたそうだが、大半は無造作なもので台風のたびに崩され、そのたびに石をゼロから積みなおすしかなかった。
 沖縄は支配者が変わるたびに、自らもその変節を余儀なくされてきたが、「いまあるものなど、すぐになくなる」という感覚は、この台風からももたらされているのではないか、と僕は推測したくなる。いまあるものでとりあえず間に合わせ、いつまでも「完成」させる意思がないからこそ、スラブヤーも「仮設的住宅」として沖縄を他愛もなく席巻していったのだと思う。
 アメリカのニグロの生き方に関して、作家の片岡義男は「両腕で相手の攻撃をかわしつつ、どこかに攻撃用のとらえどころのない腕がもう1本、自由にゆれ動いているような耐え方」と表現している。沖縄の耐え方にもこれと似たところがあり、どのような変化や圧力をもやわらかく受け止め、心のなかでは強く反発しながら、いざとなれば巧みにかわしたり相手を利用したりするタフさを持っている。
「仮設ではないが、それに近い」という意味で、僕はスラブヤーに対して「仮設的」という言葉を用いたが、ものごとを隅々まで完成させない自由さは、やはり家屋にも反映されているのだと思う。別の言い方をすれば、洗練度高く完成させてしまっては、その家は彼らにとってあまり居心地がよくない、ということだ。完成させきらずにどこかを曖昧に残したままにしておくことは、沖縄人にとっては本能的な自由の確保となっているのではないだろうか。本土の家屋と比べて、沖縄のスラブヤーが生々しくそして自由にさえ見えるのは、このような心情の奥に理由があるとしか思えないのだ。
 庶民はCBに簡便さと合理性を見い出し、ほぼ無意識に混沌としたデザインを家屋に生み出した。その奔放さと簡素きわまりない素材は建築家たちをも魅了し、はたしてCBでどこまで表現が可能かということが、追求に値するひとつの方向となった。完成させてひとつのスタンダードとして型にはめるのではなく、デザインという遊びをどこまで高められるかという融通性の追及だ。そのひとつが、与那原の丘のうえに建っている。聖クララ教会だ。
 ここを訪れることを強く勧めてくれたのは、那覇に事務所を置く建築家・當間卓だ。彼は幼少の頃にこの教会の幼稚園へ通い、いまでも「最も沖縄らしい、自分の原風景」なのだと言い切る。
「ブロックもキリスト教もアメリカからもたらされたものですが、それが沖縄の風土のなかで融合して、洗練のきわみとしてあの教会に表れています。『沖縄らしさ』ということで言うと、いまでは赤瓦が象徴のように思われていますが、僕はブロックの方が権威的ではなくて好きですね。役所は何かというと、公共施設をつくるときに『沖縄なのだから赤瓦を使え』と考えもなく押しつけてくる。僕としてはそれは粗暴としか思えず、もはや怨念の対象となっています。それよりも、戦禍のあった場所で祈りのために建てられた聖クララ教会の在り方を、僕は沖縄の原風景として受け止めるのです」
 丘をほぼ頂上まで上りきり、車を停めて芝生の庭を歩くと、奥のチャペルに年老いたシスターの姿が見えた。薄い灰色の服を着た彼女が、信者ではない僕に気づいて建物から出てきた。手に杖はないけれど歩くのが困難な様子で、あとから現れた年下のシスターが慌てて脇を支えた。こちらから小走りで近寄ると、かよわい声で「何か御用で?」と彼女は訊いた。教会のなかを見せてほしいのです、と僕は言った。ふたりのシスターは最大限の慈悲をもって僕を受け止め、古い教会への入り口を案内してくれた。
 この教会は1958年に建てられた。設計は在日米陸軍技術部隊・建設部に所属していた、京都出身の片岡献。世界で最も大きな設計集団のひとつで、シカゴに本拠を置く「SOM」が、陸軍の要請を受けて極東地区における建築を指導していた。片岡はSOMから指導を受けつつ、CBによるモダニズムで平和への希求を表現しようと試みた。
 僕は教会への廊下を歩いた。左側は花ブロックで陽射しがさえぎられ、芝のある中庭から風を受け入れている。冷房はないが充分に涼しく、沖縄の気候とCBが、建築を通して有機的に結ばれていることがわかる。
 つきあたりで左に曲がり、その先に礼拝堂の玄関がある。靴を脱いでそこを上がる。庭をはさんで、長い廊下と並行するように、礼拝堂が奥へとひろがる。マリア像のある最奥の祭壇以外には壁がなく、左右の側面は天井の高さまで黒いスチール枠のサッシュが規則的に並ぶ。透明な一面のガラスに黒の格子が張られているようで、清楚で心地よい感じがする。
 天井は斜め上へ一直線にのびあがり、遠近法をゆったりとみせている。そのために教会独特の威厳や圧迫感は軽減され、祈りが自由にひらかれている感じがある。SOMの指導ではなく、これは片岡の願いや意図だろうと僕は推測する。沖縄という地でCBを用いた場合の、彼なりの気持ちがここにはあるのだろう。
 外に出て少し離れたところから見ると、礼拝堂の外観はMの文字を平たくつぶしたかのようだ。窓のある側はコンクリートで枠を取り、祭壇の裏にあたる側面の外壁は、一面、白い花ブロックだ。ここにはブロック特有のゴツゴツとした感触はなく、むしろそれをできるだけすっきりと見せることで、力強さを奥へひめたものとして表現することに成功している。日本のモダニズム建築100選に入るのも当然だろう、と納得する。
58_6b.jpg この気品と清楚さ、それでいて強い感触は何なのか、と思う。ここが沖縄でなかったら、片岡は同じような表現を本土でもしただろうか。それはいまとなってはわからないが、この聖クララ教会を強く勧め、沖縄の原風景と言い切った當間の思いは、確かにここに表れていると僕は思った。

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