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58号線の裏へ 駒沢敏器
第1回 基地とアップルパイ
 現在の那覇空港は、肌触りに欠けたどこにでもあるような空港だ。自分の訪れた場所がどのような土地なのか、近代化された設備は俄には実感を与えてくれないし、艶めかしい風が施設内に入りこんでくるわけでもない。表玄関はただ、「本土」と呼ばれる日本と同じ顔つきをしているだけだ。
 1999年5月の開業以前にはしかし、コンクリートブロックを用いた〈箱〉のようなターミナル・ビルしかなかった。この南国ムード漂う粗末な建物を懐かしむ人は今でも決して少なくはなく、僕もいちどだけ、その恩恵にあずかったことがある。そのときはハワイの離島へ軽量機で乗りつけたような情緒を感じ、ぬめっとした風に毛穴が開いてゆく思いがした。汗がいっせいに噴きだし、色が黒く背の低い地元の人びとを見て緊張したのを覚えている。
 ここでは自分は外国人なのだ、とそのときにはっきりと感じた。土足のまま迂闊に中へ入ってゆくことの許されない、目には見えない不思議な壁と、南国特有の大らかに開かれた空気。それが矛盾したまま、同時に混在しているように思えた。そして「厄介な場所に来たかも知れないな」という確信に近い感触は、数年を経た今もなお消えないどころか、訪れるたびに闇の穴を濃く深くしている。
 空港そのものはいかにも平凡になってしまったが、着陸時にちょっとした意識さえ向ければ、やはりここが普通の場所ではないことはわかる。まず、旅客機の進入経路がおかしい。東シナ海上空を経由していちど最南端にまで下り、そこから方向転換をしてわざわざ逆戻りをするように、滑走路へ降り立っていくのだ。つまり沖縄本島の上空を、旅客機はまったく通らずにむしろ迂回してゆくことになる。
 これは言うまでもなく、在沖米軍から管制制限を受けているからだ。那覇空港は嘉手納飛行場に11マイル、普天間飛行場に8マイルと近接した位置にあり、民間機は米軍が網の目のように張りめぐらせた空域を、不自然に避けながら飛行することを余儀なくされている。しかも空港へ最終的に進入していくときの高度が尋常ではない。空港へ15マイルの距離にまで近づくと、民間機は高度を1000フィート以下に下げたまま飛行する。米軍機が2000フィートの高度で巡航している余波だ。
 そして無事に滑走路へすべりこむと、自分の乗る飛行機の窓のすぐ先には、自衛隊の戦闘機と格納庫がある。共用空港は那覇も含めて国内に8カ所あるが、観光客にここまで大らかにその姿をさらしているのは、やはり南の島だからだろうか。しかも空港でレンタカー客を乗せたマイクロバスは、わざわざその存在を見せつけるかのように、自衛隊用地の脇を走ってゆく。車内には民謡を安易に模倣した三線さんしんの音が流れ、〈沖縄気分〉はいよいよ満点だ。
 その沖縄で数日間を過ごし、そして帰路に就くときもまた、初日に見た平凡な空港へ戻って来ることになる。コンクリートの枠だけを残した中空の「花ブロック」を外壁に用いているところが沖縄らしい意匠だが、出発ロビーに入ると、土産物屋がデパートの地下を思わせるような光景で並んでいる。中国菓子の影響を受けた「ちんすこう」から、泡盛の各種銘柄まで、市内で焦って買い物をしなくても済むほどの品揃えは、どの店を選んでもほとんど同じだ。日本人観光客を馬鹿にしているのか、それとも彼らが同じことしかできないくらいに工夫がないのか、その判断はどちらともつかない。
 もちろんここまで来てまで荷物を増やす必要もないのだから、どこを見ても同じ土産物屋を見物して、搭乗までの時間をつぶすことになる。しかしあるとき、僕は目を疑うような光景に出くわした。アロハシャツの原型となったとも言われている、綿の「かりゆしウエア」を着た中年の男性が、あらかじめ包装された箱を10個近くも、何ら迷うこともなく手にしてレジへ向かったのだ。
 着ている服だけではなく、半袖の腕にびっしりと生えた体毛を見ても、太い眉と眼光の強い瞳からしても、彼が沖縄出身者であることは疑いようがなかった。普段は本土で仕事をしており、これからそこへ帰るところなのだろう。そして同じ沖縄出身の県人たちから、沖縄でしか手に入らない特別なものを頼まれたのに違いない。普通の日本人観光客ならば、まずはありえない買い物の仕方だ。
 男は1万円以上をレジで支払い、いかにも重そうに両手に5箱ずつ下げて、その店からいなくなった。彼がそこまでして買っていったものが何だったのか、包装紙で中身がわからないだけに、自分で確かめてみるよりなかった。彼の姿が見えなくなったのを確認して、僕は彼がいた場所へ行ってみた。
 彼が迷いもせずに10個も手にした商品は、アップルパイだった。
山高く詰まれた包装紙の箱の上に、ひとつだけ参考商品が置かれ、蓋のフィルム部を通して中身が見えていた。こんがりとした色のアップルパイは大きくて厚く、焼きたてのバターやシナモンの匂いがしてきそうだった。手に持ってみると予想以上にずしんと重く、野暮なくらいの存在感があった。アメリカ本土でもいまどき片田舎でなければ見られないような、どこか古臭い往年のパイだ。店の女性に訊くと中身のアップルが半生なので通販ができず、県外にいる沖縄人は里帰りをした者に購買を託すしかないのだという。
 昔のアメリカの味がほぼそのまま、沖縄人にとっても忘れられない味になっているのは明らかだった。おそらく日本に復帰するまえから(つまり沖縄が米軍に占領されていた頃から)このアップルパイは沖縄の人たちに浸透し、生活の一部となってきたのに違いない。銀座にマクドナルドが開店する以前から、沖縄にはごく普通にハンバーガー店があったことを考えれば決して意外ではないのだが、元は軍隊が持ちこんだ食文化がこのような自然なかたちであっけらかんと溶けこんでいるのを見て、僕は改めてこの土地の特殊性を感じざるを得なかった。アメリカと沖縄、そして基地とアップルパイ。
58_1.jpg 日本人の想像力がつけ入る隙など、そこにはなかった。復帰後30年を経てもなお、アメリカとじかにつながっている沖縄の血脈が、ひとつのアップルパイに投影されているようだった。僕は片手ではやや重いくらいの箱を置き、包装されたものを手にレジへ向かった。

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